3 歴史を辿れば

平成29年10月、10年ぶりに医学部学生時代の恩師(某大医学部薬理学教室の名誉教授)と京都の料亭で会食する機会があった。喜寿を迎えられてもまだお元気で、某学校長の仕事を精力的にされている。

久しぶりにお会いして当時(昭和40年代)の学生運動とその思想や大学の基礎と臨床講座の違いによる教授同士の研究に対する考え方の相違など、昔を懐かしみながらも説得力のある語らいを私にしてくれた。

私自身も還暦を過ぎ同じ医師として途中から進む道が違ったが、大いに学ぶことが多かった。特に薬理に関してはACE阻害薬やARBの研究開発に関わっておられたことで、薬の歴史や薬問屋や製薬企業が多い大阪の道修町の歴史を熱っぽく話された。

さらに大阪だけでなく滋賀県甲賀地方にも製薬企業が多いことも話され、甲賀忍者で有名な甲賀市にくすり学習館があることを教えてくれた。その後に興味を覚え甲賀と薬の歴史を辿るため、翌日その資料館を訪ねてみた。

館内の展示に江戸時代に編集された『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』という忍術伝書があり、これは「万の川の流れを集めた大海」という意味の伊賀・甲賀四十九家の忍術をまとめたものであるが、この中に忍薬の処方が記載されている。

さらに忍薬として飢渇丸・水渇丸のほか、敵を眠らせ痴呆状態にする麻薬に近い薬など多くが掲げられてあった。さらに歴史を辿れば、「あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき 野守はみずや君が袖ふる」という有名な万葉集の一句があるが、この蒲生野で「くすりがり」が行われていたことが詠まれている。

湖北にそびえる滋賀の最高峰・伊吹山は平安時代には有数の薬草自生地として知られ、戦国大名織田信長はポルトガルの宣教師に3000種もの薬草を栽培させたと記載されている。

今でも200種近くが自生しているという。すなわち忍者が持っている知識に加えこの地域の歴史、気候や土壌が薬の文化を生み出してきたと考えられる。現在でも地場産業として医薬品は県内トップで、大手企業の進出もあり全国でも11位にランクされている。歴史を紐解くと知らなかった事が見えてきて、また楽しい。