【前回の記事を読む】名誉教授が登りたいと言ったのは、東海道五十三次の高麗山。即答はできなかったが、少しでも恩返ししたくて「登りましょう」と…
随想 素晴らしき出会い
1 高麗山――恩師とともに――
私も小学生以来の登山で非常に懐かしく心地よい汗をかいた。山頂より尾根伝いに湘南平まで進んだが、途中大磯の港や平塚の市街が一望でき、特に田園地帯であった旭地区に住宅が密集し随分開発された様子が改めてよくわかった。
歩きながら、名誉教授と現在の仕事の事や、昔の思い出等を話し、今までにない親近感を感じた。湘南平で記念写真を撮り、善兵衛池を経由し東小磯に下山した。その後「旧島崎藤村邸」を見学し、18代も続いている老舗「國よし」(私の叔父が経営している)で昼食とした。
名誉教授は鰻重の味には満足したとみえ、茶漬けの如く平らげたのには、些かびっくりした。感想を聞いて「うまい」とお褒めの言葉をもらい、ほろ酔い気分で帰路についていただいた。全員、ほっとした気持ちになり思い出に残る一日となった。
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過日、大掃除をしていて一冊のアルバムが目に止まった。22年前の結婚式の写真である。若輩の私と一緒に媒酌人である名誉教授が凛々しく写っていた。
40代後半、新進気鋭の主任教授の姿である。20年以上にわたり教室を運営、病院長も歴任し、数多くの学会を主催するとともに教室員の育成にも携わって来られ、そのバイタリティーには頭が下がる。私も入局以来、現在までお世話になっているが、学会発表では厳しく指摘を受け、論文は真っ赤に訂正だらけ、手術の助手に入ると足持ちで叱られることもしばしばであった。
現役を退かれた後でも、執刀医として膝の手術を行い、リハビリテーションの講義をもされていると聞く。私も数年前より、医学部の学生の臨床実習とリハビリテーション専門学校の講義を担当しているが、まだまだ足元にも及ばない。
昨年(平成16年)12月のクリスマスの頃、現在の主任教授より診療中に電話があり、私に臨床教授として教室に協力してほしいとの依頼があった。一瞬言葉につまり、大変光栄なことであるがとても荷が重いと感じたが、まだまだ恩返しができていないと考え、その準備にあたることにした。
(平成17年1月)