第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉
二 「伝えたい事実(できごと)の真実(こころ) 」
その六 喜びと悲哀
女として母となる喜びも知りました。そして、女であるが故の哀れ、愚かさ、悲しさ、人としての悔やみというのでしょうか、妊娠と出産、中絶と流産、障害のある子の出産など、その過程で心を傷つき痛めていった、哀しいことを記さなければなりません。
① 母となる
最初の子供を授かった時、この私が母になれるのかしらと思いました。不安と共に、とても心が浮き立ちました。
私は母親とは幼い頃から離れて暮らし、早く亡くしていましたので、心待ちにして子供が生まれて来る迄の間、自分の手で子どもの物を作りたい。慣れない針仕事に精を出し、おむつも全部自分で縫い、肌着も長着も本を見ながら作りました。出来上がるのを見ながら、それは楽しいひとときでした。
初めてお腹の赤ちゃんが動くのを感じた時の喜び、くすぐるような優しさ、とても言葉では言い表せないものが伝わってきました。成長するにつれ元気に手足を伸ばしているのでしょうか。お腹がぷくんとふくれます。楽しく嬉しい数カ月でした。
それからもう一つ、私にとって、結婚して彼から伝えられた「たった一つ」の、嬉しく感じた言葉です。
昭和四十七年の年末、長男が誕生した時のこと。その日はとても寒い日でした。お風呂に入って横になった時、じゅあ~と生暖かい「おしっこもらしたのかな」という感じ、慌ててトイレに駆け込むと、洋式トイレの便器の中に「乳白色の中に赤い色が混じった薄くきれいなピンク色」が見えました。
「あっ! もしかしたら、破水しちゃったのかしら?」と心配になりました。まだ予定日には一カ月も早いのです。
お酒を飲んで寝入っていた彼を慌てて起こし、通院していた産院へ電話しました。主治医は「十カ月に入ったところ、初産だから時間はかかります。慌てないできれいにして横になっていなさい。朝が明けてから来れば大丈夫です」と言われました。
でも、陣痛が始まりました。四時頃からは痛みが十分間隔くらいになってきたので、五時過ぎに電話すると、先生が「では、来てください」と言われました。
普通なら産院へはものの五分とかからないのです、タクシーを拾いたくても早朝のことで走っていません。おまけに、その朝はとても寒い暮れの街でした。羊水も出てしまっています。お腹は大きいし陣痛もあります。
お腹の大きい私を自転車に乗せていくわけにもいきませんから、寝間着の上に彼の大ぶりのドテラを着込んで、まるでダルマさんのような格好でした。
陣痛が治まっている合間に、ソロリソロリと歩いて行ったのです。約二十分位かかったでしょうか。
今思い出しても「ふっ!」とふきだしてしまうほど滑稽な姿だったことでしょう。