第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉
二 「伝えたい事実(できごと)の真実(こころ) 」
その五 忍
① 父の死……帰るところがなくなりました
昭和四十九年三月に父が亡くなっていましたので、私にはもう帰るところがありません。
御本尊様を破られた年の冬のことです。なにひとつ纏わず素っ裸にされ、外に出されました。玄関はチェーンがかけられ家に入れません。風呂場の窓の下で身動きもできずうずくまっている私に、風呂場の窓からバケツで水をかけたのです。通路の陰に置いてあるゴミバケツの陰で、寒さと恥ずかしさで体を隠すようにしていたのです。
② 布団叩き
昭和五十年の夏、布団叩きでめった打ちにされました。昼間、何の用事で出かけたのか覚えていませんが、長男と私の母方の叔母の家を訪ねて帰宅した時でした。玄関にチェーンがかかっていて家に入れないのです。
息子が一緒でしたから、外にいるわけにも行かず、彼の一番好きで信頼している松戸市に住む義兄に相談に行き、泊めてもらいました。翌日帰りましたが、やはり入れてもらえませんでした。義兄に勧められて数日滞在しました。
数日後の平日、息子の着替えを取りに戻ると彼が家にいたのです。やにわに布団叩きで顔以外の体中をめった打ちにされて、やっとのことで逃げ、タクシーに乗って義兄宅へ戻りました。何も覚えていません。
きっとひどい姿だったでしょう。恥ずかしさも何もかも感じない私でした。どのくらい時間が経過していたのか、それも記憶にないのです。義兄の家に着くと暗くなっていて、お金を払ったかも覚えておりません。
このようなことが起こるのは、子供が寝付いた後の真夜中です。長男はまだ二歳半、果たして気づいていたかどうかわかりませんが、その時の子供の気持ちすら覚えていない私です。小さい息子の心はどんなだったのかと今にして心を冷やします。
その後もたびたび繰り返される出来事、父親と母親のギクシャクしている様子をどのように感じ取っていたでしょうか。どんな想いだったのでしょうか……。