③ 亭主の好きな赤烏帽子

昭和五十四年、長男の小学校入学の時に着物を買ってもらいました。初めて着物を着るのです。私は着物で入学式に参列できる母親に憧れていました。着付けは近所の方にお願いしていましたが、入学式に間に合わない時間ではないのですが、着付けを終えて帰宅した時間が予定より少し遅れました。

「自分で思い描いたビデオ撮りのスケジュールどおりに運ばない」と腹を立て怒り出し、ビデオも写真も取らずに、私は一日有給休暇、彼は時間休暇でしたが、彼は出勤してしまいました。

その時、彼の父親は、孫の入学式のお祝いのために田舎から来てくれていました。「わがままで困ったものだが、亭主の好きな赤烏帽子という諺がある。我慢してくれ」と言われたのです。

それからも我慢ということが長く長く続くのでした。その義父は私や孫たちをとてもかわいがってくれました。私は既に両親を亡くしており、義母も亡くしていますので、たった一人の親、おとうさんです。

それから十数年後、かなり衰弱した義父を悲しませたくないと、一生懸命耐え頑張っておりました。その義父も平成六年十二月、九十二歳で亡くなりました。

一周忌までは何としても……我慢していこうと。

一周忌を終えて約二カ月後、平成八年二月最後の家出、私の出立となるのでした。その長く長く続いた生活は、ただ「耐え・忍ぶ」という言葉がピッタリだったのです。

「忍」ということで思いあたることがあります。義母が昭和四十八年九月に亡くなり、昭和六十年の十三回忌に田舎へ帰った時、彼の実家の菩提寺へ行きました。

その時、菩提寺の御住職は「書家」としても権威のある方で、紹介されました。初対面の私に色紙を書いてくれました。「忍」という一字だったのです。

そして「よく忍んでいますね」と言われたのです。何でわかるのだろうかと不思議に思ったのですが、きっとそのような顔をしていたのでしょう。