チューリッヒの表彰式から戻った三日後のこと、全く予期しないことが起きてしまった。だから常日頃言ってきたんだ。備えあれば憂いなしというではないか。後のことを考えておかねば、もしものときにはえらいことになるぞと。
だが彼は笑って全く取り合わなかった。
この頑健な身体を見ろ。主治医も言っているではないか。俺は四十歳代半ばの肉体だそうだ。それに精神面だって完璧だし、全てが順調この上ない。
後継者など考えるにはまだ十年早い。それに、そんな候補が今いるか? 周りを見てみろ!
そう言っておきながら、ロイド財団会長エドワード・ヴォーンは突然逝ってしまった。アンドレがチューリッヒの表彰式から戻り、翌日にこの件を報告したときは、エドワードはピンシャンしていたのに……心筋梗塞とはな。分からないものだ。
今後ロンドンの、いや全ヨーロッパの芸術業界はいったい誰が仕切っていくというのだ。
ロンドンで壮大に執り行われたロイド財団会長エドワード・ヴォーン氏の葬儀には、英国の皇族、貴族を始めとし、政・財界人、文化人、美術関係者、出版・マスコミ関係者などが多数列席した。
ミッシェ ル・アンドレがこれまで《英国美術界の皇帝》と呼ばれてきたのは、ロイドの長く強い庇護があったればこそだった。
一方同時に、芸術・美術界に皇帝やら長老と称されるような重鎮の存在をうまく作り上げ、日頃から彼らを援助しておくことは、業界側にとっても自分たちの商売をやり易くするために、必要不可欠なことでもあった。
グリーン・パークの東側の道を北に向かい、アン ドレは相変わらずパイプを燻らせながら歩いていた。
自分はこれからどうなるのか?
現在七十四だが、まだ十年、いや十五年は現役として美術界で影響力を保持したいものだ。今後ロイド財団はどのように変わるのか? 誰が新会長になるのか? まあ暫くは現副会長のヒックス氏が業務代行をするのだろうが?
もし、一人娘のエリザベスなどが跡を継ぐことにでもなれば非常に困る。彼女は日頃から保守的な美術界に新風を吹き込もうと、正義感を振りかざし、透明性とか若返りとか、急進的な改革を持ち込もうとしているとの噂もある。
そんなことを高飛車にやられたらたまらんぞ。
美術業界とは距離を置きながら、米国でグラフィック・デザインを勉強し、数年前にロンドンに事務所を作ったばかりではないか。今頃になってこの業界に入ってくるというのもいかがなものか?
だが、 創立者の直系だし、ヴォーン家が過半の株を押さえられるような仕組みになっているから、この線が最も濃厚かもしれん。
しかし、なんとしても自分のレゾンデートルだけは確保しておかねば……。