そして傷つけられる側、いじめを受ける側は前世からの課題として、萎縮や緊張を多く含んだエネルギーを生まれつきもっており、それを減らせずにある程度増やしてしまったときにことが起きてしまいます。いずれも人の目や評価を気にしすぎて、言いたいことも言えず、するべきこともできないことが多いのです。

事態が大きくなる前に対応できればいいのですが、現状ではなかなか難しいかもしれません。いじめを受ける側には何も罪はないという常識では、根本的な解決には至れないのです。本人が少しでも強くなることでいじめがなくなれば正解と言えるのですが、これは心の中に潜んでいる萎縮や緊張のエネルギーをある程度減らせたときに、自然に解決するということでもあります。

09 自己意識―感性や感覚を普通に近づける

さらにいえば、人の評価を自分の思いでコントロールしようということも間違いで、自分の評価はその人たちに任せればいいのです。良い評価は喜びや感謝とし、悪い評価は自分なりに分析して意識のレベルアップに繋げるもよし、無視するもよしです。どんなクオリティの意識で努力するかが大きなかぎとなります。

人を悪く評価するときに、愛を含むのか、悪意や攻撃性を含むのかは、その人の自由と責任であり、後者ならばその発想に縛られ続ける可能性があり、そのままいくと自滅の道を行くことになります。

最も理想的なのは、あくまでも自分の意識としては普通であるという、大いなる普通を目指すことなのです。これは「中庸不変の徳」というもので、自分が優れているという固定観念をもった時点で、実は心の奥底に劣ることへの恐れを抱えてしまう。劣っているのではないかという不安をもてば、そのまま萎縮や緊張を抱えてしまうということになります。

事をなす前から余計な意識に囚われず、より良い状態で動けるようになることを目指しましょう。良い結果がついてくれば大いに喜び、かつひたりすぎずにさらなる高みを目指せることが理想的なのです。意識や感覚を分析できれば、傷つく側も傷つける側も優劣に過敏な感覚を心の奥底にもっていることがわかります。

 

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