加藤夫婦が住んでいたのは岐阜県だったので、行方不明者届は一旦岐阜県警察本部で受理された。しかし、行方不明者である彼らの息子は大阪府に住んでいたので、その資料は大阪府警察本部へすぐに回された。
その結果、依然として身元が不明の箕面の滝で発見された遺体の身体的特徴と血液型、推定年齢が加藤瞭と酷似していたので、大阪府警察本部は加藤夫婦の許可を得た上で、大阪府豊中市にある加藤瞭の住んでいたマンションに入り、彼の指紋や毛髪を採取した。
その間に加藤夫婦にも大阪府警察本部に来てもらえるかどうかを打診したところ、夫婦は鑑定結果が出る日に向かうと答えたのだった。
被害者の身元が特定されたことで捜査は大きく進展するのかと期待されたが、そう簡単にはいかなかった。端的に言うと、今回の事件はとっかかりとなる手がかりが無いに等しいのだ。事件の捜査で大事なのは、鑑識課による現場検証と刑事による聞き込みだ。いわゆる、初動捜査である。
遺体発見当時、鑑識による現場検証は徹底的に行われたが、遺体が身に着けていた衣服からは特に不審と思われる点は見つからなかった。被害者が加藤瞭と判明した後は、彼の居住していたマンションの部屋も鑑識課と捜査一課の刑事によって調査されたが、被害者の人間関係や事件直前までの足取りを知る上で役に立ちそうなものは無いように思われた。
加藤瞭の部屋は一般的な1LDKだった。ベッドやテーブル、雑貨を収納するための棚といったごく普通の生活必需品があるだけで、特に目に留まるような調度品はなかった。むしろ、物が少なすぎて、すっきりしすぎているという印象を中岡は持ったぐらいだった。
キッチンを調べていた女性捜査員の矢野川友美(やのかわともみ)も、
「食器棚も一通り見ましたけど、箸も一膳、ナイフとフォークも一セット、おまけに皿も一枚。絶対この人、彼女いないですよ。食器棚に入ってるのなんて、食器よりも非常食とかシリアルとかの方が圧倒的に多いんですから」
と話していた。
そんな状況だったので、事件の担当捜査員になった中岡と沖田を含む刑事たちは、役に立つかどうかも分からないようなものを参考資料として回収するしかなかった。