前書き

「ヨーロッパ彷徨記」とはいえ、滞在地はスウェーデン(ストックホルム)で半年間、フランスのディジョンに半年間、それにパリに2年間の計3年間、滞在期間は1974年3月から1977年2月までの3年間である。なぜそれらの国なのか? それは、本文をお読みいただくこととして、それらの地や他のヨーロッパの国々、さらにはパスポートを偽造してまで訪れたモロッコまでの様々な旅行記や体験記も含まれている。

私はいわゆる「大学紛争」を体験した世代であるが、実際にその運動の当事者となることはなかった。しかし、この時代は様々なことを考えさせられた期間でもあった。それに先立ち、高校時代の同級生が修学旅行の際に失踪し、後に自死を遂げたという出来事があった。

この出来事が頭の片隅にあり、彼が自死に至るまで悩んでいたであろうと思われる青年期特有の形而上の問題について自問し、いつかその問いに自分なりの回答を書き残そうと思っていたのである。それが「人間の条件」と題したものである。

第Ⅱ部は、このタイトルが意味するものについて今まで思考してきた人物の思索を基に、私が考察したいわば「研究ノート」のようなものである。細(ささ)やかな試みではあるが、どなたかのお役に立つことがあれば幸いである。

「ヨーロッパ彷徨記」はそのような出来事を経た一人の大学生の青春の記録として、また、「人間の条件」は、そのような出来事を経た一人の人間によるこれまでの自己探求の総括として、それぞれご一読いただければ幸いである。最後までおつき合いいただけますことを願いつつ。

第Ⅰ部 ヨーロッパ彷徨記

はじめに

なぜヨーロッパなのか。正確に言うと、主にフランスのことなのであるが、それは大学紛争の時代にまで遡る。私が北海道大学に入学した1969年(昭和44年)は、大学紛争真っ盛りの時期であった。

入学式は全共闘系の学生たちによって中断され、やがて教養部の建物も彼らによって封鎖されることとなり、授業もなくなった。そしていつものように下宿で、朝の8時30分に始まる「NHKラジオフランス語講座」を聞いていた時のことである。