第二章 今まで生きてありつるは 〈『御書(一一六五頁)』〉
二 「伝えたい事実(できごと)の真実(こころ) 」
その四 後悔
① 信仰組織をやめろ!
結婚後二年余り過ぎた昭和四十九年春、男の子を五カ月で流産しました。その年の晩秋でした。私自身、信仰組織の活動がいやであり不信をいだいていたのですから、活動は一切せず、 所属していた組織からは既に離れて何の接点もないのに、お酒を飲む度に、「その組織(信心) をやめないのか! お前の体に巣くっている!」と言い、疑われ乱暴されるのでした。
② 父の死、御本尊様の御不敬
私にとって信心の支えであった父は、その年の春三月に亡くなっていました。根底から一気に根を断ち切ろうとしたのでしょうか。
彼と私の職場は、同じ行政機関の出先の職場でした。それぞれ別の勤務地で、働いていました。私が仕事に行っている間に、彼は仕事を休んでお酒を飲んでいました。私の荷物を洗いざらい、くまなく調べたのでしょう。
家に帰ると、道路にまで、私が結婚の時に持ってきたものが、所狭しと投げ捨てられています。その中には、大事にしていた祖母からもらった思い出の茶碗や茶櫃(ちゃびつ)もありましたが、割られてしまいました。惨めでした。
それより何よりも背筋を冷やしたのは、大事にしまっておりました「御本尊様」を真っ二つに破られてしまったのです。「どうしよう!」いのちに変えても御守りするよう教えられていましたから、御守りできず、「大変ことをしてしまった」と悔やみました。