【前回の記事を読む】【日系4世の留学生】アメリカじゃアジア系に、日本じゃアメリカ人扱いされる

グラデーション

久しぶりに典子に会いたいな。高校時代が懐かしくなったナオミは、遠くを見つめるような目で思い出し笑いを漏らした。

嘉納高等学校を卒業してから四年目の秋を迎え、ナオミは東京の賢知大学人文学部比較文化学科の四年生になっていた。

典子も都内の私立大学に進学し、東京では年に数回、お茶や食事やカラオケに一緒に行ったり、三年生になってからは、ビアガーデンや大衆酒場にも出かけたりしていた。熊本に行って会ったことも数度ある。

だが、四年生になってからは、お互いに就職活動や卒業研究などで忙しく、しばらく顔を合わせていない。

ナオミは就活で二社のインターンシップに参加してみたがさほど興味が湧かず、大学院進学に気持ちが傾いたまま卒業論文の執筆に取り組んでいた。テーマは「日系アメリカ人の自我意識の世代による変化」だ。

この日は昼下がりに、同じ専攻の留学生マティアス・シルヴァと学生食堂で遅めの昼食をとりながら英語で話していた。

フロリダから来たマティアスは、英語でお互いに思いっきり愚痴をこぼし合える同級生だ。彼の父親のラウルはベネズエラからの移民だ。

ジョージア州の農場で、ジーンズ用の綿花の栽培と収穫に三年従事してから、ニューヨークに出てタクシーの運転手になった。貯金をしてマティアスが五歳の時に、母国と同じく温暖なフロリダに移り、今でも運転手を続けている。

日系人のナオミとヒスパニックのマティアスは日本ではガイジンどうし、アメリカの話題ではマイノリティどうしの仲間とも言える。ナオミと典子がお酒を飲みながら食事を楽しむ時に、マティアスに用心棒代わりに付き添いを頼むこともある。

マティアスは、パック牛乳をかけた納豆ご飯と味噌汁と豆腐ハンバーグ、ナオミは天ぷらそばを食べていた。初めてマティアスの牛乳かけ納豆ご飯を見た時、ナオミは肝を潰した半面、案外いけるかもと思った。だが、まだ試してはいない。

マティアスが、その風変わりな好物をスプーンでかき混ぜては、おいしそうに口に運びながら聞いた。

「何笑ってるの。このご飯やっぱりおかしい?」