【前回の記事を読む】【小林多喜二】戸籍に記された三男"末治"──多喜二すら知らなかった兄弟の存在が語る小林家の複雑な家族史

第2章 知られざる2人

2・B 末治

昭和52年(1977)4月に、多喜二の弟三吾が朝日新聞北海道版に4日連続の連載コラム「わたしの北海道1」を書きました。

この中で「兄はたった一人の弟ということもあってか、無理をいっても、間違った主張をしても、おこることなくウンウンと聞いてくれました」とあります。

自分のことを「たった一人の弟」と言っているのは、自分の兄として末治の存在を知らないからです。

誕生日については第3章で考察しますが、多喜二は自分の誕生日について、戸籍上は 12月1日と知っていながら確信は持っていませんでした。

このことから多喜二は自分の戸籍謄本を見たことがないと言えます。なぜなら多喜二が戸籍謄本を見ていれば、そこには「12月1日に出生して12月5日に届出が受理された」と書かれているからです。

従って誕生日に関する疑問は解決したはずです。そして同時に、弟の末治の存在にも気付くはずなのです。多喜二は生涯にわたって末治という弟の存在は知らず、弟は3男としての三吾だけと思っていたでしょう。

ここまで書いた謎を解明する新聞形式の記事を、平成24年(2012)に苫小牧の実家で見つけました(図4)。

写真を拡大 図4 タイトル不明の新聞形式の記事 著者所有(コピー)