【前回の記事を読む】【小林多喜二】戸籍に残らなかったもう一人の兄――慈幻善孩兒”と“義雲禅孩女”が語る戒名と過去簿の真実く…
第2章 知られざる2人
2・B 末治
セキは9人の子供を産んだと言っています。すでに慈幻善孩兒の存在を示しましたが、この児は戸籍に記載されていません。
除籍謄本によると多喜二は5男4女という9人兄弟です。多喜二と三吾の間に「末治」という3男が存在します。3男のような名前が付いている三吾は、本当は 4男です。
この「末治」の存在については多喜二も知らなかったと思われます。戸籍だけを見た場合、この末治を含めなくては「9人の子供を産んだ」という人数が合いません。末治は若くして死亡したわけではありません。
22歳4ヶ月で結婚しています。末治の存在は間違いないのですが、セキにとって「生まれたばかりの末治と別れた」という悲しい出来事があったと考えることもできます。
長男が多喜郎、2男が多喜二であり、それぞれ長男と2男に相応しい名前です。小樽で経済的余裕ができてから生まれた男子を3男と考えることにして、三吾という名前を付けたのかもしれません。
本来の3男末治を忘れたいという末松とセキの思いが、三吾という名前に込められている可能性があります。
図3に除籍謄本から該当部分を示しました。三吾は末治・ツキとは別のページに書かれています。末治は末松参男、三吾は末松四男と書かれています。当時の謄本は原本を手書きしたものです。
初め末治の欄に間違って次に書くべきツキを書いてしまったようです。よく見ると修正の痕跡があります。苫小牧にはこの昭和26年の除籍謄本とは別に、昭和3年の戸籍謄本も残されています。
こちらは隣り合った末治とツキの部分に修正の痕跡はありません。昭和26年の除籍謄本の修正跡は、何らかの意図を持った改竄(かいざん)ではないことが分かります。