何しろ都電で通学するのに校章が違う付属小の制服姿で、本物の付属小の児童とは乗り降りする停留所も違うのだ。何度となく車掌からもからかわれる始末。湯島小学校でもあるいは地元でも仲間外れにあい、毎日が行き場のない孤独感に包まれてゆく。

「学校から帰って、近所の友達の家に遊びに行くと、『お母ちゃんが、武ちゃんと遊んじゃいけないって』と断られてしまうのです。近所といっても学校が違うわけだし、友達の親は私の母親の性格を知って遠ざけていたんだと思います。

ところがその話を聞くなり、母は血相を変えその家に怒鳴り込みに行くのですからかえって火に油を注ぐようなものです。私は、母のそんな気性の激しさを、次第に疎み始めました。家には商売の関係で若い住み込みの従業員も多くいましたから、帰省をしない人たちと一緒に正月を祝ったり、春や秋には小旅行に出かけたりします。そんな時母は人一倍面倒見がよかったのですが、半面、勘に障った時の怒りは凄まじく、周りから手がつけられないほどでした」

と中山は語る。

成長するにつけ、そんな母の姿を見ることがたまらなく不快で、武司は次第に反発心が高まっていった。

複雑な家庭環境で、年齢も離れていたからほかの兄弟姉妹とも心許せる状況ではなかった。近所でも学校でも一人ぼっち。小学校低学年の武司は、ついには不眠症になって夜も寝られず悶々とする日が続くほどだった。

 

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