壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事
(6)
門番たちは顔を見合わせていたが、首領格の男が言った。
「よかろう。だが、おかしなまねをしたら、命はないものと思え」
城内に入り、長い参道を歩いても、どこまでも無口である。しかし、遅れずについて来る。
「わしはこれから、司礼監の、ある師父のもとへゆかねばならん。ついて来るか?」
「はい」
はじめて、じかに声をきいた。
「わしが師父と対面している間、そなたは、外で待っておれ」
「はい」
いつのまにか、司礼監をとおりすぎ、大善殿(だいぜんでん)にさしかかっていたのに、気づかなかった。とおく元(げん)の時代に創建された佛教寺院である。
永楽帝(えいらくてい)が北平の地を「北京」とさだめ、紫禁城を造成なさるとき、この伽藍(がらん)も、城壁のうちに取り込まれた。永楽帝はしばしば蒙古(モンゴル)と戦われたが、北征のときも、ここで戦勝祈願をしたときいている。
「叙達(シュター)ではないか」
寺門に立っていたのは、かつて李清綢(リーシンチョウ)師父のもとで同じ釜の飯を食った、田閔(ティエンミン)である。
「おお、こんなところで会うとは。李(リー)師父は、ご健在か」
「ああ、この中だ。そろそろ礼拝も終わるころだろう」
「ちょうど、よかった。わしはいま、漁門というところで働いているのだが、上役から、主人の書簡をわたして来いと言われてな」
「なら、それがしが引見しよう。ところでその子は?」
「ああ、わしの下女だ。事情(わけ)あって、このようななりをしている」
田閔(ティエンミン)は、少女をじろじろと眺めた。
「そなたは、ここで待て」
ふりかえって告げると、少女の顔に、不安の色がひろがった。