二
二〇一×年 盛夏
神奈川県立Y高校は、旧海軍兵学校、旧制中学の流れを汲む伝統校である。戦後の教育改革で男女共学となったいまも、その是非はともかく、質実剛健、文武両道をモットーとし、夏となれば、Y高名物二海里(約四キロ)の“遠”が課せられている。
旧制中学の面影は、いまも校舎の随所に残っている。社殿のような正門、時を刻み続ける赤銅色の丸時計、獅子の校章を象(かたど)った階段、廊下を歩けば、京都、二条城を想起させる名物“鶯階段”が床を鳴らす。
木造りの幅広い階段を上ると、そこには威風堂々とした音楽教室。前方には広い舞台があり、左右には渋谷区神泉にある名曲喫茶と同じスイス・ピエガ社製大型スピーカーが鎮座する。
壁面には、自信たっぷりのモーツアルト、眼光鋭いベートーヴェン、物憂げなフランツ・リスト、ゼバスティアン・バッハの肖像画……。とは言え、彼ら名だたる楽聖たちも、午後の強い西陽で、いまはすっかり色褪せ、目ばかりが楽譜のように突き出た奇妙な人相となっている。
さて、誰もいるはずもない夏休みの午後。その音楽教室の舞台の、真ん中で、アコーディオンケースの曲線を枕に、惰眠をむさぼるランニング姿の三十路(みそじ)前の男がひとり。
“クロカリ”というニックネームの社会科教師、清家協(せいけかなる)である。“クロカリ”とは、Y高ワンゲル部を率い、春夏秋冬、野猿さながらアルプスを駆け回り、一年中日焼けしている“黒い、かりんとう”の短縮形である。
そのクロカリが、その夏休みに蟄居(ちっきょ)していたのが、この音楽教室だった。その年の夏、県の教育委員会から依頼された『M半島百年史』の執筆を急遽引き受け、その条件として、この音楽室を執筆場所として使う権利を得ていたのである。
寝シュラフ袋に、懐ヘッデン中電灯、ガスバーナーに、コッヘル……。クロカリは、自らの登山道具一式を音楽室に持ち込んで、野営のような“執筆生活”を続けていた。
思いもよらぬ役得もあった。それは、キャロル・キング、ツェッペリン、ELO、チャイコフスキー、ドビュッシー、友部正人、シュガー・ベイブからフリーウッド・マック、西岡恭蔵……。それらクロカリがこよなく愛する楽曲を海風を受けながら、大音響で聴くことができたことだった。
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