横顔が綺麗だと思った。ずっと見ていたいと思った。滅多に笑わない彼を笑わせられると、とんでもなく大きくて特別なご褒美を自分だけがもらえたような気持ちになった。

笑っている顔を、今日のこの時間に、あと何回見られるのだろうと思った。私と米ちゃんで、その回数は、どんな結果になるのだろう。

私は二人を置いて先に帰るつもりだった。いつもと同じように、二人のこの後を想像して、数日後(早くてその日の深い時間)に米ちゃんから届く報告を楽しみに待つつもりだった。だけどどうしても嫌になった。彼をとられたくないと思った。シェアしたくないと思った。

「三つ子の魂百まで」

そんな言葉がなぜか不意に浮かんだ。私たち三人の魂を合わせれば、それでようやく百になる、そういう意味の言葉なのではないかとなぜか意味不明にそんなことが思い浮かんだ。

米ちゃんと男、私と男、どちらも不完全。二人では、百にはなり得ない。私と米ちゃんも、二人で百にはなれなくて、だからいつも少しずつ誤魔化して、何かで埋めながらようやくここまでやってきたのだ。

私はこの三人でなら百になれる気がした。生きていくに耐えうる私たちになれる気がした。私はもうどちらも手放したくなかった。いや、純粋にもう一度恋がしたかっただけなのかもしれない。

この人を、取られたくない。

手放さないと決めたら、難しいことではないような気がしてきた。思えば私はいつだって神様に救われてきたのだから。

三十歳手前の女性がもっとも魅力的であるというのはよく言われる。私にとってのまさにその頃、十代の男の子に「二番目でいいから特別な関係になってほしい」と告白された。