ソーシャルワーカーの留学

一九六八年のことだった。

「米軍基地の家族と交流し、英会話を始めた」とナバナさん。ラジオの英会話放送を流しながら、医事係の医療請求事務を応援してくれていた。

アメリカ人と会話するなんて、素敵で凄いなと槐は思った。

ナバナさんは、「臨床心理学とソーシャルワーク分野」でアメリカに、留学することになっていた。院内は、ナバナさんの留学の話題で、持ちきりだった。

患者さんまでが、副院長のラン先生に

「ナバナ先生は本当にアメリカに行ってしまうのか」

と訊ねていた。

「おお、そうだよ、気になるかね」

とラン先生。

恒例の院内の文化祭を控えていた。槐たちの医事臨床社会活動部は、『世界は二人のために』と『見上げてごらん夜の星を』を、ギターとウクレレにトランペットの演奏で合唱した。槐は「見上げてごらん」の前奏にファンファーレのように、トランペットをひと吹きするのに、ラン先生に教えてもらい、川の堤で練習した。この時の文化祭はナバナさんとの思い出になった。

ナバナさんは、こんなに楽しい職場を後にして、間もなく留学先のサンタモニカに飛んで行ってしまった。槐はナバナさんに、手紙を出さずにはいられなかった。