幼い私は、毎日のように繰り返される両親の夫婦げんかにビクビクし、母につかみかかろうとする父の足を、小さな手で引っぱったり、泣きながらけなげにも仲裁をやり続けた。
私は淋しい子供だった。両親にかまってもらえず、外で遊びもせず、いつも部屋の片隅で息を殺して、両親の機嫌をうかがっていた。
私が十歳の冬だった。母は私をこっそり呼び、ずっと欲しかった縫いぐるみのクマのプーさんをくれた。私はうれしくて母に抱きついた。その途端、母が泣きだした。そして、私を離し、私の両腕をグッと強く持って言った。
「登世子ちゃん。よく聞いてね。お母さんは今日、この家を出て行くの。お父さんと離婚したの。わかるかな? お父さんと別れたの。だから、もう、この家にいられないの」
「私もお母さんと一緒に行く!」
「ごめんなさい。お母さんもそうしたかったけど、お父さんには、登世子ちゃんが必要なの。お母さんを許してちょうだい」と、母は涙を溢れさせ、声をふるわせて言った。私はもう何も言えなかった。
母は急に手早くコートを着、ショールを巻いて、大きなカバンを持ち、玄関へ行った。私はプーさんを抱いたまま、そのあとをつけた。母が靴をはき、玄関のドアをあけた。
「お母さん!」と私は叫んだ。母はゆっくり振り返った。そしてカバンをおろし、もう一度、私の両腕をしっかりと持った。
「登世子ちゃん。どんな時も、微笑んでいるのよ。そうしていれば、きっと幸せになれるから、ね。お願いね」
「うん」と、私は母の目を見つめて頷いた。それを見て、母は手を離し、カバンを持って、走るように家を出て行った。
次回更新は10月31日(金)、22時の予定です。
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