【前回の記事を読む】震災のあとの神戸は恐ろしく大変だった。私はおにぎりを作ったり、泣いてる子どもの面倒をみたり、何でもした
一
「もちろん、それもあります。でも、ちょっと違います。だって……」
貴方は素敵で、歳は十六も上の大人で、余裕があって、いつもセンスのいい服装をしていて、優しくて、魅力があるから……と言いたかったが、恥ずかしくて私は黙ってしまった。
「だって、何? 気になるなぁ。言ってごらん」
「いいです。気にしないで下さい」
「……まっ、いいか。ところで、明日は土曜日だけど、会えるかい?」
「土曜日はお花を習いに行っているので……」と私はかわした。事実、私の唯一の楽しみだった。
「お花って、いけばな? それともアレンジメント?」
「いけばなです」
「流派は何?」
「嵯峨御流(さがごりゅう)です」
「あぁ、確か京都の寺が元で、家元制じゃない流派だね」
「よくご存じですね。そうです。京都は嵯峨の大覚寺が本所です」
「奇遇だな。僕の母も嵯峨御流だったな」
「そうなんですか! じゃぁ、教えていらっしゃるんですか?」
「いや……亡くなったよ。もう二十五年になる」と言うや、神矢の顔が曇った。