【前回の記事を読む】飛び起きて枕元の刀を掴むと、盗人の男は頭を畳に擦り付けていた。「お許し下さるご器量に、心がとろけてしまいました。」
一 初出仕
「朝飯前、ということか。それにしてもどういう了見だ。何の用だ」
「へえ、お願えでやす。どうかこのあっしを若様の家来、いえ家来なんてとんでもねえ。飯炊きでも、草履取りでも、小間使いでも何でもいたしやす。
あっしは、物心ついてからこの方、人様のものをかすめ取ることしか知らずに過ごしてまいりやした。あの時若様に討たれて死んでいても当然の身、心を入れ替えて真人間になろうと決心しても、何をしてよいやらわかりやせん。
この命をお許し下すっただけでなく、腹を空かしたあっしに餅まで恵んでくださいやした。あっしには、神様か仏様のようなお方です。若様におすがりするしかない、という思いでのこのこ後をついてまいりやした」
「神様とか仏様とか、とんでもない。お前が私を恨んでいたら、碓氷峠の時と今の二度、私はお前に討たれていただろう。私は二度お前に命を許されたわけだ。これでおあいこだ。お前は私に何の借りもない」
「滅相もありません。恨みに思うとかお命を狙うなどとはこれっぽっちも思ったことがありやせん。ただ、ただ感謝だけで」
「困ったな。熊吉、私はこれから江戸に行って初めて殿のお側でご奉公をするという身だ。これから先どんな仕事が待っているのか不安でいっぱいなのだよ。悪いけど、お前のことを考える余裕もない。頼むから放っといてくれ。私は優しい人間でも何でもない。これからの殿様へのご奉公の前に煩わしいことに巻き込まれたくないだけだ。わかってくれ」
「決してご迷惑をおかけするようなことは……」
「それが迷惑なんだ」