二.三月三十日(土)

もうすぐ四月という頃になって、少しずつ暖かくなってきてはいたが、桜のつぼみはまだ堅かった。

(あの大村さんは人付き合いをしないと言っていたが、うちに来るだろうか。家が近いと言っていたがいったいどこだろう。いつかこの辺を散策してみるか)

などと考えながら、私はまた彼に会って、言葉を交わしてみたくなっている自分に気がついた。見知らぬ私に気遣いを見せながら、彼がなぜ、あんなに厳しい目をしていたのだろうかと、不思議に思っていたのだ。

二十分ほどの車内での会話は、とりとめのない内容だった。しかし何となく彼の頭の回転の速さを感じさせるものではあった。

またあの古書店に行ってみよう、彼もまた来ているかもしれないと思った。今日は雪が降ってくる心配もなさそうだし、もし会えなければ付近の散策を楽しめばよいと考えたのだ。

タクシーを降りて駐車場を見渡してみた。そして店内に入って、並んだ棚のあちこちを見回してみても、彼の姿はなかった。

「当たり前だ、別に約束しているわけでもないしなあ」

思わず独り言が出た。そばにいた女性が、驚いたような顔でこちらをうかがっていた。

私は再会をあきらめて、本探しに没頭していった。どのくらいの時間が経ったのかわからなかったが、買いたかった本を数冊見つけた頃、

「こんにちは」

と後ろから声をかけられた。さっと振り返ると、彼、大村氏が立っていた。

「やあ、また会いましたね」 

あなたを探していましたなどと言わずに、私は驚いたような顔をしてみせた。でも彼には、会うのを期待していましたという顔に見えたかも、と思ったりした。

「今日もたくさん買われるのですか」

「先日は後先考えず、たくさん買い込んでしまいました。家まで送っていただいてありがとうございました。本当に助かりました」

会えるかな、なんてかすかな期待をもってやってくるなんて、年頃の娘みたいじゃないか、爺さんのくせにと私は思った。

「いえ、お安い御用ですよ。今日もお送りしますので、安心して本を選んでください」

「そうですか、それは嬉しいなあ。では、ぜひ家に寄ってください。おいしいかどうかはわかりませんが、コーヒーを淹れますよ」

「わかりました。お願いします。それじゃあ、また後で。ゆっくり見て回ってください」

その後、私はまた彼の車に乗って家に帰ってきた。

「年寄りの一人暮らしで、何にもない殺風景な家ですが、ゆっくりされてください。コーヒーを用意しますので、しばらくお待ちくださいね」

「いやーすごい量だ、本の山ですね」

彼はコーヒーを待つ間、本が山積みになった小さな部屋を見回して驚きの声を上げた。

 

👉『黒い渦 日の光』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】「私、初めてです。こんなに気持ちがいいって…」――彼の顔を見るのが恥ずかしい。顔が赤くなっているのが自分でも分かった

【注目記事】「奥さん、この二年あまりで三千万円近くになりますよ。こんなになるまで気がつかなかったんですか?」と警官に呆れられたが…