到着ロビーに所長の妻が子どもを二人連れて待っていた。一人の姿を見た瞬間、全身を雪崩が通り抜けた。全速力で走った。
我が子を抱きしめて泣きながら、気がついた。十四カ月前、現地で船を雇った。その時の船長がスィスタの男だった。最後に乗った船は、最初に乗った船だった。
山賊にドル札を渡した後、惨劇が起きた。別の暴力的な集団が横から現れ、何も言わず武器を振り回した。銃や近代的な刃物ではない。鈍器が舞うたび人間が異常な形で飛んだ。
クライアントの妻の腕を掴み川に飛び込んだ。流された。流木が多く、そのうちに数本が体に衝突した。頭にも当たったのかもしれない。
何度もうなされた夢は現実だった。目の当たりにした幾つもの、人間の部分。衝撃でめまいがした。あのとき、川に飛び込んだのか、めまいで落ちたのか。胃の中の機内食が逆流する。
「パパ、じゃなくて、おとうさん、ぼく、ここでまってるあいだ、ずっとトイレがまんしてた。トイレに行きたい。おじさんがね、小学生になったらパパじゃなくてお父さんってよぶんだよって」
息子は父親を正気に戻した。
凄惨な抗争の島と、ローザの島。機内で眺めていた地図を思い出した。
体一つで流されたわけない。スィスタの男が助け上げてくれたが、記憶障害になってることに気づき、愛する人とその家族を元経済大国で生活させることを思いついたのか。
これは誘拐だったのか? 俺は何も知らず、誘惑に落ちていたのか? コイチは孝一。
孝一は人に言えない自慢があったことも思い出した。しかしその密かな記録が途絶えたことを自覚した。人生で初めて、経済的対価のために女に求められた。
対価を求めて、だったとは思いたくなかった。純粋に愛されていたはずだ、と信じたかった。愛されること、それだけが、自己中心そのものの男たちから俺を分ける大河だったはずだ。
だが何であれ、船長たちを責める気になれない。あまりにも幸福だった。
あの、夢のような甘美な日々は。
空港ビルの巨大な建築物の中にいて、機械で調整された空気の中にいて、行きかう数千人が迷わずそれぞれの目的地に向かうことができる表示を見て、あの魔法にかけられたような日々は二度とないと自分に言い聞かせる。
飛び立った空港で心地よさに浸った、お湯が蛇口から出てくる日常を選択するのだ。
島での甘い幸福な記憶を孝一は強い意思で封印した。両腕に力の限り息子を抱きしめる。産んだナオミの日々を背負う、と決めた。
次回更新は11月3日(月)、20時の予定です。
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