【前回の記事を読む】【初の海外出張で悲劇】滞在予定4週間の予定が、とある事情で12ヵ月に…

二〇〇五年 孝一@領事館

テーブルに置かれた書類を見つめる。複雑な模様に見える黒い線が意味することが次第に呑み込めるようになった。

俺はこれも読むことができる。これは文字だ。俺のホームランドの文字だ。十四カ月前に入国した。それから、この紙、アルファベットだけの紙、四週間前の日付、これがガブリエル、いや、ヒロシが生まれた日というのか。サインの前のDr.というのはイシャ、思い出した。医師だ。どういうことか? やけに立派なスタンプは?

しかしコイチを呼ぶあの水面が疑問を沈める。

「ヒロシちゃんは現在、登録したこの住所で、おばあ様といらっしゃるのですね」

職員の目は鋭い。優しいトーンだが明らかに怪しんでいる。

「はい」

はいでいいのか? ウソじゃないか。ウソってなんだ? とにかく、あの男は俺を殺すつもりはないどころか、俺を帰してくれようとしている。船を出してまで。まだ何か、あるのかもしれないが。

「わかりました」

職員はあらゆる想定の中の一つの道程を選んだかのようだった。

「この子の国籍について手続きを進めます」

コクセキとは?

少しは職員の言語を理解できるのか、それとも醸し出す空気を読んだのか、ローザと男が目を輝かせた。

「ヒロシちゃんに漢字はありますか」

甲田はてきぱきと話す。

「え、カンジ? え、いいえ」

カンジって何だ?

「わかりました。ところで専門医に診ていただけますか。記憶障害であるという証明のために」

「はい」

斜め後ろにいた別の職員が「予約を取ります」と告げ部屋を出た。

千里眼のような眼をした甲田が笑顔で加えた。

「理髪店も行きますか」

リハツテン? 

笑顔の視線が自分の長い髪に置かれていることに気がついた。コイチは前髪を掻き上げ、両手で後ろにまとめて握ってみた。室内にいる男性たちの髪の短さを懐かしく感じた。

「無理していく必要はないですよ」

甲田は手のひらを出して止めた。

「似合ってますし、東京でもどこでも、そういう方をたくさん見かけますから」

トウキョウ、聞いたことがある。

コイチは、食堂に入ってきた「ショチョウ」という男を見たような気がする、と思った。

「本当に、申し訳ない」

彼は深々と頭を下げた。