【前回の記事を読む】外国人女性に紙とペンを渡され、「赤ちゃんの名前を決めて」→外国名を提案すると、「日本の名前がいい」と言われ…

二〇〇五年 孝一@領事館

男はコイチに紙のどこに何を書けばいいのかを丁寧に説明した。そして記入が終わった紙を大切そうに両手で持つと、コイチにウィンクを二度なげた。

船内で待て、とジェスチャーし上陸した。コイチがデッキに出て往来を眺めているとローザがキャビンから顔を出した。不安そうな表情をしている。コイチはせめてこの漁港らしき船着き場を歩きたいと思ったが、ローザが「来て」と懇願する。

戻って来た男は、数枚の紙を手にしている。ローザに見せながら説明している。彼女は見たことのない種類の喜びを表し踊り出した。コイチに向き直ると抱きしめ、コイチの両頬に自分の鼻が曲がるほど強くキスをしながら「ヨァ、チャイルド」と繰り返す。

男はコイチに「ケニュリー?」と言い書類を見せた。コイチはその紙の束に視線を落とす。三枚の丈夫な紙が紐で括られ、その紐は蝋で紙に固定されている。

アルファベットでヒロシ・カト、と書いてある。

カト? 何だ? 数字も並んでいる。日付、という言葉が思い出された。Dr.という印刷文字の後に手書き文字と、立派なスタンプもある。

別の大きなスタンプは半分しか押されていない。残りの半分は男が訪れた場所に保存されている、と、コイチは理解した。なぜ、それを知っているのか、と不思議に思った。

Dr.はドクターだ。思い出した、イシャだ。イシャとは何だ。この紙は何だ? このために来たのか? あの島に帰るのか?

しかし桟橋を離れても航路は景色を戻さない。

「フェァウィゴ?」

「ビッグスィティ。ジャパニズコンソー」

知っている言葉だ。どうして知っている? 

二つ目の夜が明ける。パープルオレンジの空と、まだ暗い大海原の境目に大都会の蜃気楼が姿を現した。昇る太陽が蜃気楼の中にビル群を映し出す。ぼんやりしたビル群が少しずつ鮮明になる。

男が棚にあった新しい短パンとTシャツを二枚ずつ取り出した。一組をコイチに放り、もう一組を自分で着る。上半身に何かを身に着けるのは漂流時に着ていたシャツ以来だ。

ヒゲを剃れ、と電池式のシェーバーを渡された。小屋にも同じタイプのものがあった。ボスママは少しでも伸びると「使いなさい」と明るく命じていた。

桟橋で男はコイチに肘を内側に向けて「リープ、ジャンプ」と合図し、彼がローザの右手を取って引っ張り上げた。コイチは上陸し久々に大地の感触を実感した。

太陽が強いから影は濃いが、大都会ではクリアではない。男は屋根に飾りのついた車に手をあげた。乗る前に運転手と早口で会話し行き先を告げる。

「ジャパニズコンソー」

ボロボロの車は立派な建物の前で止まった。男はゲートで何か話している。警備員の様子からして予約があるらしい。中に通されると涼しい。暑そうな服を着込んだ数人の男女がいる。

一緒に来た男とローザと、暑そうな服の三人が話し続ける。時折コイチを見る。

一人の女性がコイチに向かって来た。