「領事館員の甲田と申します。加藤孝一さんですね」

理解できる! なぜだ! カトウコウイチサンってなんだ?

「あなたは記憶障害で、このご家族と十二カ月間、過ごされていらっしゃると伺いました。渡航は」

手元の書類を確認する。

「滞在予定は四週間、ところが行方不明に」

「十二カ月……」

相手の言葉が理解できること、相手に自分の言葉が通じるらしいこと、十二カ月という期間の意味が混乱し、頭の中で嵐が吹きすさんでいる感覚に襲われた。夢に幾度となく出てきた残酷な光景が蘇り、こめかみを押さえた。

「大丈夫ですか?」

「は、はい」

大丈夫じゃない。

別の職員が話しかける。

「出入国記録です。航空会社の記録と日本での捜索願の写しも。捜索願は彼の母親と勤務先が出しています」

ハハオヤ? ハハオヤとは? 

コイチの心の奥深くが反応を始めた。

甲田は丁寧に目を通すとコイチに視線を移した。

「あなたは確かにパスポートの写真の方のようですね。ところで、お子さんの件ですが」

オコサン? オコサンとは?

アルファベットで書かれた書類をテーブルに載せた。船内で見た紙の束の写しのようだ。紐と蝋のはずの部分が、これは写しだ、と主張している。

「ヒロシちゃんは、あなたのお子さんで間違いはありませんか」

オコサンが何なのかわからない。人間なんだから俺の持ち物ではないだろう? 

しかし船で彼女が言っていたことだと理解できた。

俺のオコサンというのは、俺がパパだということだ。

それでも、パパがどういうことか、わからない。赤茶の瞳の男のように、食料を運んでくるのがパパか? 親鳥がひなに繰り返しエサを運ぶように。

頭が割れるように痛い。コウダという人に正直に伝えるべきじゃないか。

ローザがコイチの隣に腰かけた。優しく包容する。あの、熱帯の花のような重い匂いが鼻腔を刺激する。記憶が蘇る。真っ青な海に浸かっていたこと、彼女の向こうに流星群を見たこと。

コイチは慣れない言葉で説明するのが面倒になった。最も容易な音を発した。

「はい」

次回更新は10月31日(金)、20時の予定です。

 

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