子どもバーベルにスクワットも加えてみた。きつすぎて声がかすれる。
「うん。かぎのあけかた、ぼく、みてたからママがいないときにあけたんだ。そしたらパパがいた」
「そ、そのこと、ママに、言った?」
「ううん。だって、はこはあけちゃいけないんだ。えいくんがあけようとしたら、ママが、けいさつにつかまるからだめだって」
息子はあまりにも嬉しくて空中で両脚をばたつかせ、孝一の頭に抱きつき、筋トレは終了した。
「警察?」
「うん。えいくんのおくすりはママがしまってたんだ」
柔らかい頬を孝一の頬に擦り付けて離れない。
「だから連れて行かれたのか……」
保育園に入れることも難儀した。どこも満杯だという。会社と反対方向五キロにやっと見つかった。困難は入れた後も次々に襲ってくる。
毎朝、家を出るまでの慌しさは想像を絶した。フィールドアスレチックだ、サバイバルゲームの世界だ、と自分に言い聞かせる。
熱がある、とか、咳が止まらない、とか、何度も保育園から会社に電話が来た。その度に、周囲に平謝りして迎えに行った。予め同僚、上司に相談していても遅刻、早退をせざるを得ないことが次々に発生する。
有休はあっという間に消えた。喘息は通院していても十年は覚悟しなければならないとのことだった。会社に居づらくなった。
こんなことになって、何の罰なんだろ? 俺、そんなに悪いことをしてきたのかなぁ。そんなつもりないんだけど。でもがんばろ、がんばるぞっ。
しかし職場での評価は下がり続けた。同情をしてくれていた顔の幾つもに迷惑の色が浮かぶようになった。
みんなギリギリのローテーションでチームワークをしている。
オフクロ助けてくれ! 子ども好きじゃないか。母親ってものは、全力で味方になってくれる。
自分の人生を家族のために喜んで差し出す。それが母親の幸せっていうじゃないか。幸せな義務だ。
孝一の母親は本音を漏らした。孝一が平日に有休をとって内科、整形外科のリハビリ、眼科に連れていくことができないことに困っているのだ。
「待合室にいるとね、他の方たちにはおヨメさんが車で送り迎えしてるの。バスでいく自分が情けなくって。雨の日は特に不便。早くちゃんとおヨメさん貰ってよ。都会じゃ不人情なおヨメさんがまかり通ってるらしいけど、ここは古き良きまんまなの。あの子あんたの子じゃないんだから施設に連れて行けばいいじゃない」
医療機関、そうだ、費用。高齢者用保険証のおかげで、それぞれの会計はいつも数百円だった。処方箋薬局の支払いは百円にならない。
公費を負担するのは誰か。息子の医療費は毎回、数千円。画像診断だと一万円を超えた。
人口ピラミッドという言葉を小学校か中学で覚えた。今はピラミッド型じゃないから、なんて表すんだろう? こんな素晴らしい社会が到来するなんて誰が予想できただろう。
孝一は転職した。
次回更新は10月24日(金)、20時の予定です。
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