「理想」

若い頃、「理想」は自然発生的に、自分の心の中で「燃えて」いた。

年を重ねるに従い、「理想」は現実に押しつぶされ、自分の心の中で「眠って」いる。

だから、だからこそ、年を重ね、大人になればなるほど、自分で自分の中に眠る「理想」を、叩き起こすのだ。

「理想」は青年の特権ではない。「理想」は大人の特権だ。

「理想」無くして、過酷な「大人時代」を生き抜くことは出来ない。

「少年よ、大志を抱け」と、北海道開拓の父クラーク博士は言葉を遺したが、私は言う、「死んだ様に生きる大人よ、理想を抱け」と。

企業の経営トップこそが、社で最も夢想家であり、また最も理想家でなくてはならない。

物判りの良い「小賢しい大人」なんて、そんなチープな大人は、糞喰らえである。

いつまでも、「馬鹿げた、ややこしい大人」で良いのだ。

大切なものは「いつも、いつまでも、夢を見て、理想を希求する心」だ。

さあ、皆でパンを捨てて、「夢を見て、理想を追いかけて」、日々を新たに生きよう。

どうせ一度きりの人生なら、パンではなく「理想」を喰って、生きていこう。

次回更新は10月26日(日)、11時の予定です。

 

👉『耄狂耄語』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】二階へ上がるとすぐに男女の喘ぎ声が聞こえてきた。「このフロアが性交室となっています。」目のやり場に困りながら、男の後について歩くと…

【注目記事】8年前、娘が自死した。私の再婚相手が原因だった。娘の心は壊れていって、最終的にマンションの踊り場から飛び降りた。