二〇〇三年 玉手箱@アパート
暑い日が続いた。孝一はあの日、出直した。シャツを羽織り警察に走ったが会うことはできなかった。
あの子はナオミの子? あの子の丸い小さな顔はナオミに似ているような気もする。
父親は? 刑務所にいるのか? 雲の上って、もういないってことか? それとも。
孝一は様々な想像に耽った。もしかしたら自分の子かと思い、記憶を巻き戻す。
あの子は幼稚園だか保育園だかに通っていた。でも、何歳なんだろう? 顔つきを思い出しても、話し方を思い出しても、見当がつかない。身長はこれくらいだった、だから、何歳なんだ?
俺が父親でないとしたら? 歳月をたどったが困惑は増すばかりだった。ナオミのその後が苦難だったことだけは理解できた。
なんでこんなことになった? どこで道を間違えた?
一週間経つと、隣のベランダから臭いがし始めた。身を乗り出してみる。急に住人が居なくなった部屋の窓は開けっぱなしらしい。管理会社の退去後清掃が入らない。家賃は払われているということか。
管理会社に電話をかけた。
「あの、臭いがするんですけど」
翌日、共用通路に聞こえた鈍い足音が隣で止まり、ドアを開ける音に変わった。台所の窓を僅かに開け、網戸に顔の右半分を押し付け覗くと、あの「さとくん」がいる。
今日のさとくんは背中が丸まっている。ゴミを運び出すため何往復もする。うつむいたまま、持ちにくそうに。
健気な。でもゴミの収集日じゃない。収集場所に置いてるのか?
その上、臭いが網戸を通して漂い始めた。さとくんの姿が見えないときにそっと通路を確認する。茶色の液体が点々とこぼれている。酷い臭いの元はこれか?
ナオちゃんはなんで、こんなことになった? こんな不衛生な人間じゃないはずだ。
さとくんが肩に掛けていた子ども用布団の、清潔でシワのない白さが胸の中に蘇る。
さとくんはその後も何往復かすると鍵をかけた。車で去る音が聞こえる。
また、ナオちゃん親子、戻って来てくれるよな。
通路の汚れに水を撒くためにドアを開けると、特大ゴミ袋に入った粗大ごみが三つ、隣のドア前に置きっぱなしになっていた。袋の口が閉まりきらないほど詰まっている。さとくんか誰か、取りに来るのか?
次回更新は10月22日(水)、20時の予定です。
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