【前回の記事を読む】認知症の母を助けようと下敷きに…お腹の子の上に膝をつき、全体重をかけられた。激痛、足の間からは液体が流れ、赤ちゃんは…
二〇〇三年 逮捕@アパート
孝一は退去しようと不動産店巡りはしていたが、これという物件が見つからないでいるうちに三週間が過ぎた。
あの子の可愛らしさからして、姐さんは美人なはず。引っ越す前に一回、見てぇ!
遠雷の聞こえる午後六時、隣のドアを叩く音が聞こえた。いつまでも叩いている。
「いるのはわかってるんですよ!」
洗濯機のスイッチを入れようとしていたが、網戸から隣を見た。警官が三人いる。一人は女性だ。
ドアが開く気配がする。声を荒らげないようにしているせいか、警官が何を言っているのか聞こえない。しかし警官は何か、進展させたらしい。隣の玄関の内側で言い合う幾つもの声が重なる。そしてついに一つの声が玄関の外に出た。
「待ってよ! 子どもがいるの!」
聞き覚えのある声だ。
まさか。
孝一は反射的に飛び出した。
まだ沈まぬ晩夏の太陽光がナオミを照らしている。
「ナオちゃん?」
長い髪、こけた頬、くぼんだ目。タンクトップと短パンから生える、瘦せた肩、細い腕、細い脚。かつて筋肉質で張っていた全身が、低い太陽光と真上の蛍光灯の下で灰色に見える。
しかしあの僅かに反り返る立体的なうわくちびるも、顎に小さな影を落とすふっくらしたしたくちびるも、そのままだった。
細い髪の隙間を太陽光が真横から通り抜ける。
「なんで、ここに?」
ナオミの見開いた瞳が震えだす。
「お宅、知り合い?」
警官三人がこちらを向く。
四人の視線が孝一の体に沿って下がる。トランクスだけで外にいた。
「す、少しだけ待ってください」
ジャージを穿きに洗濯機に走った。
「あの人とは」
ナオミの声がする。
「何年も会ってない。ここに住んでることも今、初めて知った。だから関係ない。さっさと行こ。子どもはどうなるの」
「ダメだ! ナオちゃん、待って!」
洗濯機に両腕を突っ込んで中身を全部引きずり出した。
何で今日に限って洗ったのがないんだ!
「多分、施設です」
警官の一人が中に入り、あの子を連れ出した音も聞こえる。孝一は上半身裸のまま、サンダルを手に、大股で開けっ放しのドアから共用廊下に跳んだ。既に階段を下りる園児は孝一を振り返り振り返り、ナオミは目をそらし続けた。
「あの、あの」
孝一がなんと言っていいのかわからないでいるうちにもナオミと園児は警官三人とパトカーに乗り込む。
「待って、待ってください!」
素足のまま階段を下り警察車両まで追いかけた。
あの子は、ナオちゃんの子なのか?
ビルの隙間に沈みかけている夏の太陽が遠ざかる車を照らす。孝一は駆け続けた。