一本の木(1)
マンションの左手の窓の外 一本の木
斜めに落ちる稜線に 一際高く枝を張り 風にのる
引っ越してきて ふと目に留まり 気になり
一度 どれくらい大きいのか行ってみようと思い
二度の春
一度は試みた
いつもの駅への道を反対にとり 橋を渡り
小学校の高すぎるブロック塀の横を過ぎ
柿畑のまだ青い実の間を抜け
由緒は知らないが"河童地蔵"の小さな祠(ほこら)の前を通り
定めた方向へと歩ける道を探った
道は狭く険しくなり 小川に出会う
二mほどの飛び石の上に渡し板は無かった
ジーンズの裾を折り 水はくるぶしを越えた
人の? 良さそうな 途中で菓子パンで釣った柴犬も消えてしまった
ふと淋しくなった ふと自分が可哀想になった
(やはり 私って 少し 変かな――)
細い道は石の向こうに 森の中へとつながっていた
ぬれたジーンズを降ろし 来た道を下った
一本の木(2)
出会った頃は車から降りてきて
人目を忍んで 今日にさようならを 言った
今は 最初に好きになった すっきりした目元を細める笑顔は変わらないが
車窓から手を振った
少しだけ あなたの後ろのものが見え始めた
私の行きたい方向は分かっている
しかし 小川の水に体を濡らし
自分の心が傷付くだけならまだしも 未知の森の中に身を晒(さら)し
突き進んでゆく勇気はなかった
木の大きさを知りたいと願い その幹に時間を気にせず
身も心も横たえたいと望みつつ 触れてみることに躊躇した
窓を夕立が叩く
木は風に逆らい 張った枝々を揺らし稜線を彩る
責任のない愛に 男は寛容になれ 雄弁になり
そして 大きく見えるのかも知れない
あの幹の傍に守るものがあれば 木は枝を収め
縮こまって小心に 風の過ぎるのを待つに違いない
夕立は激しくなり 稜線も木も 落ちる雨の中に 消えた
(会えない?)
《今日?》
(ええ――)
《今から?》
(ええ 少しだけ――)
《今日は用事がたて込んでいてね 明後日辺りじゃダメ? なにか? 急ぎ?》
(そう~ じゃ いいわ)
ベランダに出た
夕立に濡れた私の体が 雨になった 風になった
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