悠真は後ろの席に座る恰幅のいいアメリカ人夫妻と何やら日米交流に余念がない。「スリー」と言いながら指を三本突き立てているのを見ると、どうやら年齢を主張しているらしい。ボストン出身のこの夫婦、アイスホッケー、バスケットボールと、その年ボストンのスポーツが調子よかったので最初はご満悦だった。
「ボストン・レッドソックスに吉田正尚(まさたか)がやってくるね。彼には期待している」。
日本に負けたのは不満だが、吉田の活躍に少し溜飲(りゅういん)が下がった様子だ。
悠真が身ぶり手ぶりでコミュニケーションするうちに、勢い余ってポップコーンを盛大にこぼす。「やっちゃった」と言わんばかりの表情。平素、頑迷固陋(がんめいころう)で不寛容、他人を思いやらないと言われがちな胖が、とたんに眉を顰(ひそ)めて不機嫌な顔を隠さない。
それでも当の悠真は
「ま、いいか。ドンマイ」と立ち直りは早い。
さしもの祖父も孫にだけは寛容だ。
「ユウちゃんのドンマイは、敵なしだな」
「USA!」「USA!」。
四面楚歌ならぬ、四面から沸き起こる怒涛のようなユーエスエイコール。日本のファンは、古代中国・楚の項羽さながらの気分を味わう。
しかし、ジャパンの侍たちは「四面米歌(アメリカ)」にもめげない。劣勢から村上のホームランで同点に追いつく。諭と悠真がハグしてグータッチを交わす。ついに逆転して迎えた九回。野球の神さまはフィナーレを飾るクライマックスを用意していた。
スライディングでユニフォームに泥がついた大谷がレフト裏の投球練習場からゆっくりとマウンドに向かう。ツーアウトを取ってから打席に立ったのはエンジェルスの盟友トラウトだ。千両役者の対決に球場はいやおうなく最高潮に達する。
大谷の投じた鋭く曲がりの大きいスライダー、後にスイーパーと命名された魔球に、さしものスーパースターのバットも空を切る。あまりに劇的過ぎて、漫画や小説の作者ですら結末にするのは二の足を踏みそうな幕切れ。試合前、居並ぶメジャーのスーパースターたちに「憧れるのはやめましょう」とチームを鼓舞した大谷。彼はこのとき憧れを超えた。否、憧れられた。
古今未曽有、異次元の偉業、前代未聞、唯一無二、史上初、不世出、オーマイガー! etc.
大谷の活躍を振り返ると、野球の神さまベーブ・ルースも天を仰ぐような形容詞にはこと欠かない。二〇一八年、投打の二刀流でメジャーデビュー以来、MVP二回とホームラン王の称号を得ている。
しかし、光が強ければ影も濃いのか。二〇二三年秋、けがによる手術で打者に専念。そして二〇二四年の開幕直前、通訳の不正送金というスキャンダルが見舞う。しかし大谷に動じた素振りはうかがえない。
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