第二章

指定しておいた時間はとっくに過ぎている。羽田空港国内線出発ロビー、4番時計。

混雑しているコンコースをときおり見まわしながら、光一は明らかに苛立っていた。

「やっぱり誘わなければよかったかな」

「――もうそこまで来てます」

心の中で呟くと小太郎からすかさず返事が返ってきたので思わず後ろを振り返ってしまった。

コトバを発しない会話。ミサエに言わせれば「耳デンワ」だ。

小太郎が上京したときから二人で続けている会話だ。最初は井の頭線の電車の中、耳の奥へ直接語りかけてきたのは小太郎のほうからだった。慣れれば簡単ですよ。小太郎はこともなげにそう言い放った。あれから1年。いまではすっかりコツを覚え、使いこなしている。ただし交信相手はまだ小太郎とミサエだけだ。

「あ、来ましたよ、あそこ」。小太郎に言われて振り返ると、手を振りながらこちらに走ってくる女性が目に入った。見覚えのあるゴールドの大きなトロリーケースを引いている。

「光一さ~ん」。よく通るその声に周囲の人までが何ごとかと振り返って見ていく。

「なんだか映画のワンシーンみたいですね」。小太郎がからかってくる。

「バカ。あいつ。大声で叫ぶな」

光一と小太郎の目の前でようやく立ち止まった琴音が息を弾ませながらこう言った。

「ごめんなさい。渋滞にはまっちゃって」

「言い訳はいい。早くチェックインしろ」

「ハーイ」

琴音は舌をペロッと出してそう返事をすると自動チェックイン機へと向かった。旅慣れているのか、その後の琴音の行動は迅速だった。素早く荷物を預け終えると手荷物検査とボディチェック。すべてクリアすると涼しい顔で追いついてきた。

しかしフライト時間はもう20分後に迫っている。ゲートでは、搭乗案内が始まっているころだ。

「どうしてもっと早く言ってくれないんですか。昨日の今日だなんて急すぎます」

「オレも急に思い立ったもんだから。しかし、結果こうしてここにいるんだからよかったじゃないか」

「休み取るの大変だったんですからね」

「それにしても荷物、デカ過ぎないか」

「前のやつはキズがついちゃったから新しいの買ったんですぅ。荷づくりだってたいへんだったんだから」

「どうしてもっと身軽に旅ができないのかな」

「女にはどうしても必要なものがあるんです」。琴音はそう言ってそっぽを向いた。

「やれやれ。やっぱり誘わなければ……」

「なにか言いました?」「いやなんでもない」

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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