彼の様子がおかしくなったのは、役所を去って一カ月もしないうちであった。
急に食べ物が喉を通らない。挙句の果ては、水さえも流れていかない。まるで臓腑の果てに魔物が巣食うていて、そ奴が折角流れ着いた飲食物をすべて噴き出してしまうかのように、勢い良く嘔吐(おうと)してしまうのであった。頬がこけ始めたと思ったら、髪や体毛も抜け落ち、目は窪み、体からは生気が失せてしまったのだ。
ベッドに横たわる姿は、芋虫、いや蛆虫のようであった。掛かりつけの医者に診せたが原因は分からず、すぐに大学病院に入院し、様々な検査と治療を受けたのだが、その甲斐も空しく、わずか半月のうちに世を去ることとなった。
原因不明の奇怪な死に方に家族は合点がいかず、数日間、有三の薄命を恨んで泣き明かした。妻と二人の娘は、原因を明らかにすることを望み、仕方なくも解剖を申し出たのである。治療に関わっていた医者もあまりに不自然な患者の死に方に疑問を抱いていたので、その申し出は、まさに渡りに船であったらしい。
解剖が行われ、告げられた病名は「多臓器不全」。医者は、決して嘘を告げたわけではなかったが、何によってそれが引き起こされたのか、その真意を語る勇気は、持ち合わせてはいなかったようだ。
解剖を行った執刀チームは皆、その異様さに驚愕させられた。諸所の臓器には鬱血した箇所や癌の痕跡も見当たらない。しかし、そのほとんどは、壊死をしていて、機能が停止していた。なぜだか全く見当も付かない。原因を特定できぬまま、開いた腹を閉じようとしたその時であった。肝の奥底から大きな蛆虫が這い出してきたのである。
有三が息を引き取る数日前、彼が入院したことを知って、大学病院にかつての部下であった明子と優菜が見舞いにきたことがあった。ベッドの脇にある花瓶に花を生けながら、病人に聞かせる内容ではなかったので、声を殺しながら雑談をしていたのだが、その話は、過敏となって敧(そばだ)てていた彼の耳の中に、すっかり吸い込まれていった。
「明子、知ってる? 縁起でもない話だけれど、ウオコーの沙織夫人、先月お亡くなりになったらしいわね。週刊誌に載っていたわよ」
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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