【前回記事を読む】羽衣を脱ぎ長い髪を束ね剣を舞う姫君 その美しさに越の人々が息を呑んだ春の宴
二、 謁見、手白香姫舞う
「今、春祭りが始まったばかりです。成りゆきで手白香姫の将来を決める場ではありません。また日を改めて、大和の大連大伴氏と手白香姫から要望をお聞きしたいと思いますが、よろしいでしょうか」
場は収まった。
いつの間にか、西方・国見岳へと陽が沈んでゆく。
大王が立ち上がる。夕陽に手を合わせ「国土安穏・万民守護」力強く唱えた。
一同立ち上がり、夕陽に向かい「国土安穏・万民守護」合唱、礼拝する。
春祭り数日が過ぎた。芦原が見事に焼かれ、見渡す限り漆黒の平野が広がった。
今日は「ワケ」という。大石によってせき止められていた足羽川の水が一斉に流れ出す。
「平野の隅々まで分け与えられる分け水」の日というのだ。
祭壇の前では巫女たちが祈っている。
河の積石が崩れ始めた。河の両脇の見張り番が白旗を揚げた。太鼓が打ち鳴らされる。
ドンドンドンドン、ドンドンドンドン、
下流へ下々へと流れ出し、その先々で白旗が次々と上がっていった。
三、 花印
越国は若葉、芽吹きの季節到来である。
農耕が始まる。あちこちの田畑が牛や馬によって耕され、行き交う民は皆、頭の先から足のつま先まで泥だらけである。上半身裸の男たちの胸や腕には入れ墨があり、何処の者か分かるらしい。
手白香姫は、改めて越国の豊かな生活を感じていた。と同時に生まれ育った大和王族の貧しさを思った。この越国へ来てからの方が、ずっと人間らしく生きている気がしてならない。もともと静かに一人で過ごすのが好きだったのに、誰か彼かが絶えず傍らにきて話しかけ、笑い合っている。
ある日、金村が挨拶に来た。金村は、私の身の安全を察して越国に連れてきてくれた。金村と大王や側近らとの話し合いはどうなったのだろうか。大和王族としての自覚を諭されたが、私は反対にその縛りから抜け出した解放感を満喫している。今後はやはり越国との連絡を密にするとのこと。
「姫様の笑顔を見ました。暫くこちら越国にてお過ごしくださいませ。大和はまだ動乱の中、二人の妹姫様たちもできればこちらへ連れてまいりたいと大王にお願いしました」
そうだ、二人の妹たちはどうしているのか。五歳年下の妹は春日山田氏にて、そのまた一つ下の妹は橘仲氏にて、それぞれ母親の実家が世話をしている。まだ会ったこともない妹たち。
「ご武運とご健勝をお祈りいたします。二人の妹たちを、よろしくお願いします」
越国の神様は太陽と月。目につくと、誰か彼か空を見上げては手を合わせ、老若男女問わずその様には、崇高ささえ覚える。
山の幸、海の幸、そしてコメや雑穀。目の前の風景がそのまま豊かさに変わっていく様は、やはり天地へ神様へと自然に感謝の祈りとして皆の生活に現れている。
――そういえば、此処へ来たとき、客館でホカホカの「蟹」なるものを生まれて初めて食べた。見よう見まねで手で、固い甲羅を割りながらむしゃぶりついた。美味しかった――
手白香姫は昼餉を準備する使用人たちの様子を見ながら、匂いにも敏感になっていく楽しさを感じていた。