送信メール:元気発進 63号
送信者:永吉 大洋
宛先:《中川町役場》
送信済:01/02/26 午後4:32
1週間ぶりに、「元気発進」のキーを打っています。
皆さんも、少しホッとしていたところでしょうか(笑)。
首長勉強会の九州研修から、昨日、雪の北海道に帰ってきました。
福岡市、大山町、小国町、水俣市と回ってきました。
様々な課題を抱えながら、それぞれの市町村が取り組んでいる新しい試みに、ある時は驚き、そしてある時は勇気づけられる今回の研修でした。機会を見て、ご紹介したいと思います。
今日は、逆境の淵から再生した水俣市の取り組みや、しみじみと心打たれたY水俣市長について、少し触れてみたいと思います。
水俣は、皆さんご存知の水俣病で有名な水俣です。
経済優先、物の豊かさのみを追求していたという時代風潮の中で、水俣病とは、その原因が判明するまでは、「奇病」、「伝染病」と恐れられた、チッソの廃液に含まれる「有機水銀」中毒による病気です。
直接、脳神経を侵す、実に恐ろしい病気です。
古い話ではありません。
昭和20年代に発生し、30年代に原因が特定されながら、現在に至ってようやく一定の解決を見た、水俣受難の長い歴史があります。
何せ、水俣湾の魚が食卓に並ぶようになってから、まだ3年と経っていないのですから。
その苦難と絶望の状況から、水保は見事に立ち直っていました。
日本一、環境を大切にするマチとして! 水俣病を貴重な教訓として!
Y市長や担当者の皆さんから、様々な苦労話を聴きました。
例えば、水俣出身ということすら隠さなければならない状況で、結婚も破談になり、修学旅行でいじめられ差別までされた話。
漁業だけでなく、農作物も水俣産というだけで全く売れず、患者団体も16にまで分裂し、加害企業、行政と互いに不信感の渦中にあったことなど。
そんな中で、Y市長が話された「もやい直し運動」が、心に深く残りました。
船を港に係留するときに、繋いでいるロープをもやい網と言うそうです。「もやい直し」とは、これが入り乱れて、どの船のもやい網か分からなくなった状態をいったん解き放し、整然と船を並べ直して、またもやい網を繋ぎ直すという意味だそうです。
「もやい直し運動」とはつまり、水俣病を正しく理解して、その上で対話を深めるとともに、利害の相反するお互いの立場の違いを認め、尊重し合いながら、可能な限り一致点を見出していこうという「意識革命」だそうです。
そうした「もやい直し運動」の進展とともに、患者団体の行政への不信感も和らぎ、またお互いに反発し合っていた患者団体同士も、解決のための話し合いのテーブルに着くことになったそうです。
しかし、そこに至る過程の中で、何よりも忘れてならないことは、「水俣病患者に対し、市は十分な対策を取ることができなかった。救済のための役割を果たすことができなかった」という、Y市長の患者や犠牲者に対する真摯な謝罪でした。
それが、「もやい直し運動」を進めるための絶対の前提条件でした。国や県が難色を示す中で、あえて謝罪を断行したY市長に、市民を代表する市長としての存在の所以を、垣間見させていただいたような気がしました。
水俣市についてはまだまだ書きたいことがたくさんありますが、次の機会に譲りましょう。
今日は、「森の学校」(森学)開校日。
どんな方々と、どんな出会いがあるのでしょうか!
【イチオシ記事】まさか実の娘を手籠めにするとは…天地がひっくり返るほど驚き足腰が立たなくなってその場にへたり込み…
【注目記事】銀行員の夫は給料50万円だったが、生活費はいつも8万円しかくれなかった。子供が二人産まれても、その額は変わらず。