【前回の記事を読む】「ひっ」すれ違った若い女が後ずさりする…正気を失ったホームレスか通り魔のような男がいて…

episode 1 異変

半年後 ── 。

五月の連休を前にした時期としては、異常に暑かった。昼間は三十度を超す真夏日が続く。都内のマンション六階に暮らす城戸剛は、帰宅するとすぐ窓を開け放った。日中の熱気がこもっていて、このままではクーラーも効きそうにないからだ。このところ毎年のように熱波に襲われているが、体は少しも慣れない。

ちょうど夜十時を回ったところだ。テレビのリモコンをひねると「ちょっと涼しくなるニュースです」と通信社の配信らしい映像を伝えていた。日本の南極観測隊が、三億年前の氷結した大型昆虫やシダ類の大木を発見したという。

「とくに、メガネウラと呼ばれる大型トンボは、今のカラスほどの大きさがあります。体も羽もほぼ完全な形で残っていて、地球の生物史を解き明かす貴重な発見といえそうです」というアナウンサーの声に、城戸は身を乗り出した。

「だから言わんこっちゃない。やっぱり行くべきだったんだ」

東都テレビの報道記者として、城戸はつい最近までこのゴールデンタイムのニュースを担当していた。昨年夏、文部科学省がマスコミ向けに南極観測隊の同行を募った際、城戸は応募しようとしたが、部長の山下邦夫から反対された。

「今さら南極に行っても大した成果は期待できない」というのが表向きの理由だが、「あんなやつを南極なんかに遊びに行かせられるか」と飲んだ席で言い放っていたという話が伝わってきていた。

「山ブーの野郎、あいつだけは本当に許せん」

城戸たち記者連中は巨漢の山下を「山ブー」と呼んで嫌っていた。部下の手柄は自分の手柄、部下の不始末は部下だけに責任を押し付けるという、どこの会社にも一人や二人はいるタイプ ── 。

そのくせ、面と向かって理路整然と立ち向かうと「俺は知らん」「聞いてない」の一点張りで逃げる。そんな卑劣な人間だが、上の覚えはめでたく、次の局長候補といわれていた。昼時も夜の宴会も金魚の糞のように上司についていき、盆暮れには贈り物を欠かさないらしい。