カンパニャーノ・ディ・ローマ

ここまで、ラ・ストルタから歩き始めて5時間ほど。次に目指すは、カンパニャーノ・ディ・ローマである。

ソルボのマドンナの聖堂からしばらく先に進むと、徐々に住宅が増えてくるが、なかなか旧市街に辿り着かない。山道を歩いて疲れた脚には堪えた。

ようやく辿り着いたカンパニャーノ・ディ・ローマは、フォルメッロよりも大きな街で、旧市街入口の門もなかなか立派である。

ローマ門と呼ばれているこの門は、1714年、オルシーニ家に代わって新たなソルボのマドンナの聖堂。筆者が訪れた際、聖堂内では1人の信者が熱心に祈りを捧げていた。

ソルボのマドンナの聖堂入口付近にある十字架領主となったキージ家が一から作らせて、1735年にようやく建造が終了した。

この街の名前は、古代ローマにまで遡る「フンドゥス・カンパニアヌス(Fundus Campanianus)」という農地の名前に由来する。

その後、大理石の採掘場所として発展、中世にはカルチョーフィ(Carciofi)とワインが名産の農業地域となった。

カルチョーフィは、古代ギリシャ・ローマ時代からある野菜であり、紀元1世紀にはエジプトでも食されていたとの記録がある。

食物繊維とミネラル分が豊富で、免疫力の改善、利尿作用、解毒作用があるとされており、イタリアでは今でも広く食されている。

今回は、このローマ門がゴールである。フォルメッロからアップダウンがあってきつく感じられたが、エトルリア以来の悠久の歴史と自然公園内の雄大な自然を満喫した1日となった。

ローマに近い旧ヴェイイ周辺の考古学地域のみ歩いてみるのも、手軽でよいなと感じた。

カンパニャーノ・ディ・ローマのローマ門。門の先には旧市街が広がり、5分ほど歩くと広場に出て、頂上に鐘の石彫を頂いたイルカの噴水や市庁舎がある。
ローマの市場で売られていたカルチョーフィ。日本では「アーティチョーク」と呼ばれることが多い。秋から春のシーズンには山積みになって売られている。

 

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