思考を中断された今日子は、河合の顔を見た。演技を止めた河合の声に苛立ちを感じたからである。同じものを、他の役者たちも感じたらしかった。

演技を止められた役者、君島良美が不安そうに河合を見ているのが目に入る。

「なんかさあ、葛藤が見えないんだよね。テクニックでセリフ言ってるでしょ?」

河合は右手で顎を撫でながらにこやかな表情を作っていたが、その冷ややかな目はまったく笑っていなかった。

瞬時に、稽古場の温度が下がり、場が凍りつく。

「だから学生演劇あがりは困るんだよな。うわっつらの芝居ばかりやりやがって。感情ってのは理屈じゃないんだよ。溢れ出すものなんだよ。おまえの芝居、ロボットみたいじゃん」

河合は、淡々とそう言うと、パイプ椅子から立ち上がり、稽古場を舐めるように見回した。

今日子と目が合った。

「雨水。セリフ覚えてるよね? やってみて」

河合はまたにこっと笑ったが、眼光はさらに鋭さを増した。

河合幸一。

この劇団の主宰者であり、演出家であり、座付きの作者である。

劇団『幻影機関』を創立した人物であり、小劇場界のカリスマ。妻子持ちのワンマン主宰者であり、今日子の不倫相手でもある。

指名された今日子は、今度の上演台本『二十分間』を手に持ち、ゆっくりと立ち上がった。

二十分というのは、日本人の平均セックス時間らしい。

その『二十分間』に愛はあるのか?がテーマであると河合が言っていた。

『愛』三部作の第一作として、河合が書き下ろした戯曲。それが今回の作品だった。

良美が演じていたのは、劇の主役である。

今日子はプレッシャーを感じた。主役の代役などやったことがない。

稽古場が静まり返った。

良美の視線が痛い。

劇団員の目が今日子に集まる。

深く息を吸い込む。目を瞑り、意識を集中させる。

今日子は、目を閉じたまま、吐息のように語り始めた。

「あの人と出会ったのは確かに偶然だった。だけど、ひとめで恋をした。道ならぬ恋だとはわかっていたわ。それでも自分に恋することを許したのは、もうこれ以上、愛のない生活には耐えられなかったから……もう限界だった」

今日子は目を開けた。もう誰の姿も目に入らなかった。気持ちが昂る。

「ずっと考えていたの。そう、その瞬間、あの時、この世界で、私たちは出会った。それは決して偶然なんかじゃない。大切な出会いはすべて、体と体が出会う前から、約束されている」

声が震える。深呼吸をする。