【前回の記事を読む】喧嘩において無敗を誇った男を倒したのは、狂気じみた関西弁の怪物だった

第一章

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記憶って不思議。時間は過去から現在、未来とつながっているのに、そんなことに関係なく記憶は蘇る。脈絡なく浮かんできては、消えていったりする。たまに鮮明な記憶もあったりするけれど、その記憶だって不確かなものだ。記憶は改ざんされるって誰かが言ってたけど、起こった出来事なんて、過ぎてしまえばお芝居みたいなもの。

パパのことを思い出す。

パパは言っていた。今日子。君の名前をつけるときパパとママはとっても悩んだんだよ。キョウコにするか、サクラ にするかでね。君は桜の季節に生まれたからさ。

どうして桜じゃなく、今日子になったの?と今日子は聞いた。

ママが嫌がったんだ。ほら、桜ってちょっと悲しいだろ?だから、今日子にしたんだよ、とパパは言った。

あのね、今日子。君の名前には意味があるんだ。今日というのは一日っていうことだ。それでね、一日っていうのは神様が作った時間なんだ。一週間とか一カ月というのは人間が作ったものだけど、一日はね、太陽が昇って沈むまでの時間だから、宇宙の時間なんだよ。

だからね、今日子。君がそうやって、朝起きて、歯を磨いて、笑って、泣いて、眠りにつく時間。それはね、神様の時間なんだ。その繰り返しが人生、生きるってことなんだ。

今日子。君の名前はね、一日一日を、神様の時間を、一生懸命に、大切に生きてほしい。今日を、いまを大事に生きてほしい。そう願ってパパとママは今日子って名前にしたんだ。

言い終わるとパパは私をぎゅっと抱き締めてくれた。

思い出す。パパのつけていた柑橘系のコロンの匂い。

匂いは記憶を蘇らせるっていうけど、あれは本当だ。いまでもあのコロンをつけている男の人がいると、思わず振り返ってしまう。あの匂いを嗅ぐと、パパの膝の上で鼻をくっつけながら話した、あの昼下がりにタイムスリップする。

大好きだったパパ。優しかったパパ。そのパパはもういない。弟の聡と一緒に天国に行ってしまった。

「ストーップ」

突然、河合が手を叩き、大声を上げた。ハッと我に返った。いつの間にかぼんやりとしていた。アルバイトの疲れが出ているのかもしれない、と今日子は思った。年末年始は実家に帰らずアルバイトに精を出した。次回の公演のため、少しでもお金を稼いでおく必要があったのだ。