信氏、宿願成る
この年、元和元年(一六一五)の年の瀬に、伊藤肥後信氏の恩人、片倉備中守景綱が病で没した。
大坂で大戦果を挙げた嫡男・小十郎重綱が白石城に意気揚々と帰ってきたが、病床の景綱は「小十郎、帰るに能(あた)はず!」と一喝、登城を差し止めたという。合戦のさなか、敵方の雑兵どもを自ら斬りつけたことが景綱の耳に入り、侍大将に相応しからざる振る舞いと、大激怒したというのだ。
この報せを聞いた信氏は、備中守様の御心に添えず、小十郎を立派な侍大将にするという、自ら課した一つ目の目標が成らずか……と気落ちした。
小十郎が雑兵を斬ったのは、道明寺合戦の後半、真田・毛利軍との激突が始まった頃。序盤の敵方の勢いに押された時、敵大将の首級を上げようと、数人の雑兵が刀を振り回してなだれ込んできた時である。
「戦場ではこの程度のことはある。備中守様も、それが分からぬ方ではあるまいに……」
信氏は、景綱が思い直してくれることを願った。
その直後、小十郎の成長に格段の期待を寄せて、戦での小十郎の働きぶりを大いに讃えた政宗や、伊達安房守成実らのとりなしで、ようやく登城が認められたと知らされ、信氏は安堵した。
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