第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

撃破(キョッパ)

生徒が撃破を実践すべき段階かどうかは、マスターによって判断される。生徒は技を磨き、ゆくゆくは独学で修行をしたり、自身の道場を開いたりするだろう。そうなった時、自身の技術レベルを正確に測り、それに応じて撃破の技と素材を選ぶ必要がある。

自分の能力を過信したり、素材の硬さや密度を侮ったりしていると、手足の骨折など負傷する場合がある。テコンドーで大切なのは、体作りに励み、健康を維持していくことである。よって、時期尚早に撃破を試みてはならない。

撃破の初心者は、基本稽古に労力を費やすことをためらう傾向にある。よって、コンディショニング・トレーニングや技の練習の重要性を教えられるのはマスターだけである。

生徒らは、健康を損なうことなく、正しい決断ができるよう指導してもらう必要がある。どんな決断にも結果がともない、その責任は自分にあるからだ。怪我をせず撃破を実践するには、正しい技と素材を選択できるようになら なければいけない。

決断力というのは、聡明な先生に指導して頂き、経験を積んでいくことでしか身に付けることができない。

撃破とは、根本的に、体、心、精神を整える修行であり、スキルと責任を持って素材を割るために必要なものである。また撃破は、個々が技をマスターした証でもある。それは、力まかせでなく生徒自身のテクニックをもって成功した事を証明する。

撃破に使う素材は、自らに課した挑戦である。痛みは人間にとって大きな恐怖の一つであり、撃破はその恐怖との戦いと言えよう。撃破を実践する際は、感情や雑念を心の中から取り払う。ここでは、完全集中も一つのテクニックと言えよう。

実践前は、心の中で自分の成功だけをイメージする。疑念やためらいは失敗のもとになるからだ。完全集中の状態、つまり心が解放されると同時に満たされている状態を禅仏教では“悟り”として記されている。

この悟りの概念と同義の言葉は西洋文化にはなく、これを簡潔に言い表すのは難しい。強いて言うなら、“悟り”に最も近い表現は“enlightenment” であろう。これは、自身を含む人間本来に備わる本性に気づいた段階という意味を持つ。