毎週土曜日、夜七時から二時間ほどの練習だ。部員数は二十名ほどで、毎週通ってくる人は十二、三名だろうか。最初の三十分はラリー、その後はサーブの練習、そしてバックハンドを練習しゲームへと進んでいく。

麻彩は中学時代、テニス部のエースとして活躍していた。今も腕は鈍ることなく、ゲーム中もサーブでポイントを重ね、また、スマッシュも数多く決まっていた。

一方、結里亜は体力には自信があるが、ゲームは苦手だった。テイクバックが遅いのかラケットを振るタイミングが遅れてしまうのだ。ラリーの相手はほとんど麻彩だった。打ちやすいところにボールを返してくれるので四十数回続いた。ラリーの時間は楽しかった。

練習の後は、近くの喫茶店にほとんどのメンバーが移動して、コーヒーを飲みながらおしゃべりに花が咲く。これはお決まりのコースになっていた。

また、年に一度、長野県や隣の群馬県、山梨県で一泊二日の合宿があった。昼間は、ラリーや自主練習、それから試合形式のゲームを楽しみ、夜はお酒を飲みながら会話が盛り上がる。

そのテニスクラブで知り合ったのが三歳年上の池上(いけがみ)恭一(きょういち)。住宅メーカーで設計の仕事をしている。年齢より若く見える顔立ちで少年のような心を持ち合わせた人だった。テニスクラブの結成当初からのメンバーだ。恭一もテニスの練習から喫茶店でのコーヒータイムまで必ず顔を出していた。

結里亜がテニスクラブに入って半年ほど経った頃、恭一に誘われ、その友人の小浜(こはま)進一(しんいち)と麻彩の四人で野沢温泉スキー場に出かけた。ここは初心者向けのゲレンデも多くスキー経験の少ない結里亜には最適の場所だった。スキーのインストラクターの資格を持つ恭一の指導のもとで結里亜は基礎から練習をした。進一と麻彩も練習に付き合っていた。

最初はリフトには乗らず、スキー板を付けてなだらかなゲレンデをひたすら登る、その後、左右のスキー板を揃えてゆっくり滑る練習を四十分ほどした。それから、恭一と結里亜はリフトに乗って中級者コースのあるゲレンデへ。進一と麻彩は中級者コースでは物足りないとばかりに上級者コースへと移動して行った。

次回更新は9月26日(金)、18時の予定です。

 

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