古の半島(朝鮮)に於ける、大和の地場を失って以来、父子代々が聞かされて来た、半島や、唐土(もろこし)からの襲撃に対処する事だけが、彼の興味の源泉であり、夷狄と刃を交えた経験のある、マムシの元で共に働く事は、彼にとって千載一遇の機会でもあった。

隙が無く、無駄のない、マムシの指図は、種材をして、直ぐに、彼を頭に据えた、高明の“眼力”に平伏するしかなかったし、高明父子の、都から下って来た貴族とは思えない、上下の隔てが無い、実力を見極めた上での、地侍を始めとする、地元の民百姓への接し方は。指導者とは、“どの様に”在るべきかを種材以下、周囲に自覚、覚醒させて行った。

前年に高麗からの節度使が対馬に来訪し、対馬経由で大陸や半島の情勢は、大宰府の内部では把握されていた。

又、昨今、九州一帯の各地に出没している、海乱鬼(かいらぎ)、八幡(ばはん)と呼ばれる大陸や半島由来の海賊の侵略行為は、大宰府近辺だけではなく、九州一帯の領主にとっては、倭寇以上に、頭痛の種であった。

しかし都から下って来た高明は、大宰府に着任して、その事情を聴き、驚愕せざるを得なかった。

『このような重大な情報が、都には、一切届いていなかった』

それは、都の海外情報の一切が、高麗と新羅により滅亡させられた、百済系の帰化人が、平安京に遷都後も“未だ”牛耳っていた事が原因であった。

しかし実情を着任後、直ぐに“ほゞ”把握した高明は、備えの重要性に関して、素早く行動を起こした。