「ただいま」
昨日より大きな声が出た。心掛けたわけではなく、自然と出た言葉だ。
「おかえり」
キッチンにいる母さんの声が暗い。今、俺はこういう雰囲気に敏感だ。背中しか見えないのでよく分からないけど、なんとなく元気がない。眉間にしわを寄せて無意識に母さんを視界から外す。するとテーブルの上にあるすごい御馳走(ごちそう)が目に飛び込んできた。
俺の大好きなカツのミルフィーユがある。
「好きなだけ食べていいわよ」
途端に何とも言えない苦しさにかられた。やはり辛い思いをさせたのだろう。信じて待つことしかできなかった両親の心境を考える。昨日は母さんの態度ですごく救われた。ただ、結局今俺はどうしたらいいのか分からない。
「いただっきます」
平静を装って食べる。母さんは時々わざと家事の音を大きく立てる。すすり泣く声を家事でごまかすためだ。その泣き声を聞くと俺も涙が止まらない。その度に俺も食べることで泣き声をごまかす。お互いに鼻水をすすり、わざと不自然な音を出す。それでも隠し切れない泣き声が続く。
結局「大丈夫」の一言は言えなかったが、親子が思いを確かめ合う幸せな時間だった。
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