武司が生まれて一年もたたずして父勇次が突然脳溢血で死んでしまった。

二人の子供を抱え母うめ子はこれから先どうしたらよいか悩んだ挙句、以前仕事をしていた叔父を頼って再び上京する。

叔父である中山政勝は出産時に妻を亡くし、乳飲み子を含め二男二女の子供を抱えて途方に暮れていた。

家庭崩壊の危機を救うため、政勝の姉でありうめ子の母でもあるきくえが政勝とうめ子で所帯を持ってはどうかと強く勧めた。

本来ではありえないような血縁関係の婚姻だ。

しかし戦後の混乱期には稀にこんなこともあったようだ。ともあれうめ子は二人の子を連れ、中山家に嫁いだ。

中山武司の人生は、実質ここから始まったといってもいい。

新しい両親のもとで、六人の子供が一緒に暮らすという大家族が出現したのである。武司は六人の中で一番末の兄弟となった。

両親は、まだ幼い武司を二人の実の子のように育てようと考えたようだ。それは、複雑な家庭環境の崩壊を防ぐための、かすがいの役目であったのかもしれない。

まだ戦争の傷跡が残る貧しい時代に、兄弟の中でも特に武司は大切に育てられた。

実はそのことは幼い武司にとってかなり苦痛を伴うことでもあった。

やがて両親との軋轢が生まれ、将来の人格形成にも少なからず影響を与えてゆく。