それを口実に「一緒に暮らしましょう。籍を入れて家族になりましょう」と告げた。

お願いした、という方が当時の私の心境に近いのかもしれない。忌まわしい過去を生きてきた旧姓を捨てられることも、何より魅力的だった。

子どもを持つことは想定外だった。だけど夫はある時から急激に、そして猛烈に、子どもを欲しがった。

後で聞けば、周囲の友人に影響されたという本当にただそれだけのことだったらしい。ずっと電車もバスも使わない距離で小・中・高校、専門学校時代を過ごしてきた夫にとって、周りの友人たちが父親になっていくことに激しく焦らされたようだ。

ただ単純にタイミングの重なりの問題であったのかもしれない。当時結婚願望など一ミリもないように見えていた夫は、父親願望には見事に取り憑かれていたのだ。

「一人で全部育児をする。だからどうか自分たちの子を産んでほしい」

そう自信たっぷりに言っていたのはなんだったのだろう。

実際に父親になった瞬間から、彼がその言葉通りでいた瞬間はなかったはずだ。家事も育児もしないのならば、私にとっては子どもが大小一人ずつになっただけだった。

父親になった夫は、これまで以上にむしろ「子ども」に見えたし、皮肉なことに「ヒモ」感は増してしまった。だからといって彼に父親であることを求めることはしたくなかった。

とにかく彼には彼でいてほしかったのだ。よく世間で言われる「子を育てながら、夫を育てる」という考え方は私には好ましくない。

なぜそれほどまでに上から目線に、大人が大人を育成するなんて考えられるのだろう。そんな話で盛り上がる女性たちにも好感は一生持てそうにない。

彼は彼であるから、私の愛する彼なのだ。彼は私の分身のようで、私がしたいこと、したくてもできないこと、それらを何も気にせず、決して深く考えず、心の赴くままにやってのけてくれるから好きなのだ。愛おしいのだ。

次回更新は9月22日(月)、19時の予定です。

 

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