〈健常者に近かった頃の母〉

1 歩けない母

歩行が不可能になった母はとりあえず介護老人保健施設(以下、老健)に入所し、車イスで生活をしていました。

その施設では角部屋・トイレ付きの一番広い部屋しか空きがなく、仕方ないので母はその部屋で日常生活を送ったので利用料も相当かかりました。

そして母は老健でも「私を早くお風呂にいれて」と我が儘を言い、施設職員を困らせました。私も福祉施設での勤務経験があるのでわかるのですが、スタッフも人間ですから好きな利用者と嫌いな利用者に分かれます。好かれたほうが何かと得なのですが、母は決して前者ではなかったでしょう。

それでもよくしてくれるスタッフもいて、母は私からその方に挨拶するよう、要求することもありました。

そして月に1回程度だったでしょうか、訪問するときに、母の好きな懐石弁当を持っていきました。そうするときには、事前に老健にその日の昼食がいらないことを連絡しておきます。

そして自室ではなく、広めのホールがあるのでそこを使わせてもらい、二人でお弁当を食べました。その頃の母は誤嚥もなく、普通に美味しいお弁当を食べることができ、本当に元気でした。

施設内では仲良しの友人もでき、楽しく暮らしていたようです。その方に何かをプレゼントされたことがあるようで、そのお返しでしょうか。私と一緒に神社参拝をしたときのことです。

「○○さん(友人の名前)に神社のお守りを頼まれたの」と言うので、私はお守りを購入し、その方にプレゼントしたこともありました。

私も仕事があったので、施設訪問できるのは週二回くらいでした。すると母は「ぜんぜん来てくれない」と不満を言い出します。母にとって毎日の訪問以外は「ぜんぜん来ない」になってしまうのです。