【前回記事を読む】懸命に介護しても「うちの嫁は何もしてくれない」と平気で言われ、それを聞いた一緒に住んでいない人から責められる。耐えられず…
第1章 利用者さんとずっと一緒
先生、勝っちゃだめですよ
中内さんは、右目が不自由で瞼が閉じず、いつも目薬を点眼しないと乾燥して目が痛くなります。
少し認知症が出てきたため、悪化を防ごうと奥さんのすすめで『日向ぼっこ』のデイサービスを利用するようになりました。現役の時は大工の棟梁をしており、元気な若者を何人も育てていたようです。
奥さんの話では、さすがに女には手を出さなかったようですが、酒は半端でなく仕事が終われば毎日深夜まで飲み、午前様を繰り返していたようです。
中内さんの趣味は将棋で、いつも相手を探して片目をギラギラさせています。いつも相手をさせられているのがケアマネージャーの大江でした。
大江は将棋が得意でなく、すぐ中内さんの『歩』に追いつめられて負けてしまいます。勝った中内さんはまんざらでもなさそうに、「大江は弱すぎる、もっと強いやつはいないのか」と自慢していました。
火曜日はタカシ先生の往診日です。タカシ先生は子供の時少し将棋をした経験がありますが、駒の動かし方ぐらいしかわかりません。往診が早く終わった後、なぜか将棋の話になり、中内さんの相手をするようスタッフから頼まれました。
「子供の時、少しかじった程度だから将棋無理」
と断りましたが、皆に中内さんの相手をしてあげてください、と無理やり頼まれしぶしぶ対戦となりました。
最初タカシ先生は押され気味で、もう少しで王様を取られそうになったのを何とか防衛してから、徐々にタカシ先生が優勢になり、ついに中内さんを追いつめて勝ってしまいました。その日、中内さんは素人に負けた悔しさで一言も話さず、ブスッとして帰っていきました。
その日からタカシ先生は皆に褒められるどころか、冷たい言葉を浴びせられました。
「認知症相手のお年寄りに、あの先生は勝つなんてひどい男ね」
「わざと負けてあげればいいのに、器量が小さいのね」
それを聞いたタカシ先生は頭にきて、反省するどころか中内さんを相手に連勝を続けました。
中内さんは、怒ってもうデイに行くのは嫌だとデイに来なくなりました。何とか中内さんをなだめ、もうタカシ先生とは将棋をしないようにするから、と説得しデイサービスを復活させました。
「タカシ先生ったら、本当に器量が小さいのね」とため息をついている服部でした。