【前回の記事を読む】深夜の便所清掃中に数人の男が一人の男を一方的に殴る現場を目撃。しかし、運悪く彼らに見つかってしまい……

灰色の風が吹く

帰宅後は安心だろうか。リンチの現場を目撃したからといって、わざわざ自分の居所を探し出し、口を封じるといった手間なことをするとは考えにくい。一目散に逃げたくらいだから、脅しは十分効いていると思っているだろう。

便所掃除の仕事はこれで終了だ。履歴書には住所や名前などすべて嘘の情報を記載していたから、ビルの管理者から詰められる心配はない。一週間ほどなら、食いつなげる分のお金を持っている。面倒くさいが、明日からは旨味のある別のアルバイトを探せばいい。

昼ごろだった。玄関の扉を数回ノックする音が聞こえた。

結城幸助は木造三階建ての古びたアパートの一階にある自室で寝転がりながら、テレビを見ていた。これまで自分の部屋を訪れた客は皆無だった。身構えた。

あの出来事から三日がたっていた。もしかすると、ヤクザ風の男たちに住居を突き止められたのか。足音を立てずに玄関の扉の前まで進み、ドアののぞき窓からうかがった。

扉の前にはリンチを受けた小太りの中年男が立っていた。どうしてここがわかったのか。周囲に人はいないようだ。居留守を装った。ノックをする音はしばらく続いたが、十分後には鳴り止んだ。

午後七時過ぎ。ドアののぞき窓から人が辺りにいないことを確認したうえで、コンビニエンスストアで買い物をするために玄関の扉を開けた。

その途端、右横から中年男が現れた。

「聞いてくださいよ」

中年男はいきなり、親しい相手に懇願するような口ぶりで声をかけてきた。

「何だよ」

結城は十歳ほど年上の中年男を見下した。

「私のこと、覚えているでしょう。話をしてくださいよ」

「あなたのことなんて、知らない。これから出かけるので、そこをどいてくれる」

「知らない? そんなはずはないでしょう」

「知らないから、知らないって言っているんだ」